「光秀冷遇説」だけでは説明できない
同時代が記録された『信長公記』は事件の経過を伝えますが、光秀の内心を詳しく説明してはいません。『信長公記』は信長に仕えた太田牛一が編んだ記録で、信長の事績をまとめた性格が強く、出来事の叙述には優れていても、ほかの関連する人物の心理や動機を掘り下げることを目的とした史料ではありません。光秀自身の書状も残されていますが、そこに見えるのは政治的判断や軍事行動の文脈であって、「なぜ裏切ったのか」という心理の核心ではありません。
むしろ、光秀は丹波平定などで功績を挙げ、信長に重用されていた形跡もあります。光秀の謀反は単純な冷遇説だけでは説明できないのです。信頼と緊張が同時に存在していた可能性はありますが、それを決定的に示す史料はありません。
動機の解明は歴史学者の専門外
ここで重要なのは、「わからない」のではなく、「史料からはそこまで踏み込めない」という点です。歴史学は、残された記録をもとに過去を考える営みです。史料は、誰かの行動やその場の経過は伝えても、そのとき頭の中で何が決定打になったのかまでは、書き残してくれません。
たとえば書状だと、その多くは、相手に読ませるために書かれたものであって、本心をそのまま吐き出した独白ではありません。また、記録は、書き手の立場や後年の編纂意図によって内容や強調点が変わることもあり、事実の選び方自体に偏りが生じる可能性もあります。残された記録の性格そのものが、内面の最深部を確定させにくいのです。
光秀の心の奥底を断定するとなると、どうしても想像を含みます。そこから先は、学問というより物語の領域になります。光秀の動機が確定しないのは、研究不足というより、史料の性質によるものなのです。

