行間を読まないと会話が成立しない
日本語は、世界有数の「高コンテクスト文化」の言語です。コンテクストとは「文脈」や「背景」のこと。
高コンテクスト文化と低コンテクスト文化には、次のような特徴があります。
高コンテクスト文化である日本語では、主語が省略される(「行けそう?」「あれ、どうなった?」など)、結論を曖昧にする(「~かな」「~と思います」)、本音をストレートに言わず、行間に匂わせるなどが日常的に行われます。
すると、「相手が何を言おうとしているのか」を理解するには、表情や声のトーンなどを含めてしっかりと聞く必要があります。
「この『大丈夫です』は、本当に大丈夫なのか?」
「『考えておきます』って『No』ってことなのか?」
と、常に「行間の翻訳」をしながら話を聞いてしまうのです。
「みんな」「普通は」に要注意
「みんなやってるよ」「普通は、○○だよね」
このような「みんな」「普通は」といった“大きな括り”の意見を日常的に耳にしませんか。
個人の感想として言われたら気にならないけれど、「みんな」と言われたら、「そっちが正しいのかも」と考えてしまうという人も少なくないはずです。
ここで問題になるのが、「その言葉の正しさ」です。
そもそも、言う側には思い込みによるバイアスが入っています。
スタンフォード大学のロスらの研究によると、人は自分と同じ意見を実際よりも多くの人が持っていると思い込む傾向があります。これを「フォルス・コンセンサス(偽の合意)効果」といいます。
また、「多数派=正解」という思い込みも問題です。
アリゾナ州立大学のチャルディーニは、人は「多くの人がしていること」を正しい行動の基準にする、と指摘しています。
さらに、ティルブルフ大学異文化協力研究所のホフステードの研究によると、日本は世界的に見ても集団主義の傾向が強い国です。「みんなと違う」ということ自体が不安の源になりやすい文化なのです。
言わなくても「通じてしまう」
加えて日本語は、「言わなすぎ」にもなりがちです。
日本語は主語をはっきり言わなくても通じてしまう言語です。
聞き手が空気を読んでくれるので、自分の意見を主張しなくても、なんとなく場が収まってしまいます。
「No」と言わなくても、空気で察してくれる。
文句を直接言わなくても、誰かがうまく調整してくれる。
こうしたことが起こりやすいのです。
さらに、本書で述べていますが、肩書きや地位のある人の前では「権威スイッチ」が入りやすくなります。
上司や先生、専門家などの「権威」を前にすると、なおさら自分の意見を言いづらくなるのです。
聞きすぎて、言わなすぎる日々を送っていると、あなたの中にはどんどん「他人の声」だけが溜まっていってしまいます。
自分の中に「他人の声」だけが溜まっていく。




