ブラジルの「個人技文化」を日本サッカーに

ネルソン吉村の成功を受け、他クラブも日系ブラジル人を獲得し始める。その中にのちに解説者として有名になるセルジオ越後がいた。日系2世のセルジオ越後はコリンチャンスのユースからトップ昇格を果たし、プロの世界でプレーした経験があった。1972年に藤和不動産(湘南ベルマーレの前身)へ入団し、日本リーグ初の「プロ経験がある外国籍選手」として話題になった。

日本に個人技を重んじるサッカー文化が生まれたのは、ネルソン吉村やセルジオ越後ら日系ブラジル人選手の存在が大きかったと言われている。

ピッチ外でも日系ブラジル人が活躍する。

日系2世のシルビオ・アキは日系ブラジル人として初めてFIFA公認エージェントになり、Jリーグへ移籍するブラジル人選手の橋渡し役になった。ブラジルから日本に帰化して1998年W杯に出場した呂比須ワグナーの義理の父でもある。息子アレシャンドレ・アキも代理人として活躍している。

日系2世の高井蘭童は15歳のときに来日し、言葉の壁もあって苦しんだがJリーグ開幕が転機になる。2003年から20年に渡って鹿島アントラーズで通訳を務め、オリベイラ監督時代にリーグ3連覇に貢献した。

日系ブラジル人選手で「最大の成功例」

そして選手として最大の成功例となったのが日系3世の田中マルクス闘莉王だ。渋谷教育学園幕張高校サッカー部の宗像マルコス望監督に誘われ、16歳で来日。高3のときに中心選手として同校を初の高校選手権出場に導いた。

田中マルクス闘莉王
田中マルクス闘莉王(写真=Neier/CC-BY-SA-3.0/Wikimedia Commons

高校卒業後はサンフレッチェ広島、水戸ホーリーホックを経て、浦和レッズに入団。2006年に浦和にJ1初優勝をもたらし、翌年にはACL制覇に貢献した。さらに2010年に名古屋グランパスへ移籍するとJ1初優勝を果たした。まさに「優勝請負人」である。

185センチメートルの体を生かしたパワフルなヘディングに加え、闘莉王の最大の特徴はブラジル仕込みの闘争心だ。勘違いしている若手がいたら躊躇なく怒鳴りつけ、練習で納得できないことがあれば監督にも意見を伝える。

2010年W杯を目指す過程でイケイケの本田圭佑が入ってきたときも、闘莉王は苦言を呈することができる数少ない選手のひとりだった。ブラジル仕込みの空気を読まない力が、間違いなく日本の組織の中でアドバンテージになっていた。