家康に「友」と呼ばれた唯一の家臣

また、忠勝と仲の良かった同じく徳川四天王の榊原さかきばら康政やすまさからは「腸の腐った奴」と酷評されたといわれている。

確かにそのようにいわれても仕方ない側面もあったのかもしれないが、家康からは兄弟のように信頼されていて、いささかもその信頼が揺らぐことはなかった。いつの時期からかは明確に特定できないが、ある時期から、家康に「友」と呼ばれる唯一の家臣だったともいう。家康と正信の間柄は「君臣くんしんの間、相遭あいあふこと水魚の如し」ともいわれた。

徳川四天王の一人であった榊原康政
徳川四天王の一人であった榊原康政(写真=文化庁所蔵品/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

『名将言行録』などによれば、家康の寝室に帯刀したままでの出入りが許されていたともいう。それは通常ありえないことなので、その信頼のほどがしれよう。地位的には、徳川幕府の年寄(老中)、後には、大老格の年寄にのぼったという。