「強からず、柔らかならず」
ところで、家康は鷹狩が大の好みだった。数多の戦国武将で最も鷹狩が好きだったといっても過言ではないだろう。家康は白鷹を特に好んだようだ。他にも、孫の三代将軍家光は、将軍在職中に数百回の鷹狩を行ったと伝えられている。
鷹は寿命が長く、調教した鷹はインコよりおとなしいという。家康に手乗りする眼光鋭い鷹を見ながら傍に控える鷹匠の本多正信の若き日の姿が想像される。身分は低いが、鷹匠は主君と直接話ができる立場だった。当時から、家康と正信は心が通い合っていたのかもしれない。
さてそのような7年ほどの放浪の中で、正信は、やはり自分が仕えるのは徳川家康しかないと心に定めたのであろう。これ以降は、何があっても二心なく、家康に尽くそうと思ったに違いない。
正信は、1570年の朝倉・浅井連合軍との姉川の戦いの前あたりに帰参したとされる。正信は、家康の帰参の許しにきっと涙したことだろう。
他方、そのとき与えられた仕事は何だったのだろうか。いずれにしろ、帰り新参であり、当時は武功や武名などの何の手土産もなく、肩身が狭かったであろう。いずれにしろ、下級家臣としての再雇用でのスタートだった。それは、現代的にいえば、キャリア・クライシスからの復活への第一歩といえよう。
その当時の本多正信のことを評した松永久秀の興味深い言葉が残っている。松永は戦国の梟雄といわれた油断も隙もならない人物だった。
ところが、「徳川の侍は多く武勇の輩であるが、正信は強からず、柔らかならず、また卑しからず、世の常の人ならず」と正信の才幹を高く評価していたという。
これは、鷹匠時代に自然に身につけた戦略眼や思慮深さ、優れた身のこなしが自ずから醸し出されていたのではないだろうか。
正信が帰参してのち、家康が正信のその才幹をいつごろから認めたのか定かではないが、身近に接する中で、その成長ぶりに刮目したのではないだろうか。いずれにしろ、一歩一歩信頼の度を増していき、家康の懐深くに入ったに違いない。
不得手の合戦での戦闘能力で勝負しない
さて、正信は帰参にあたって、何を考えたのだろうか? あるいは、帰参して徐々に考えるようになったことは何だろうか?
意識するとしないとにかかわらず、徳川家の中で、どのようにしたら生き残っていけるだろうかと、徳川家における自分のポジショニングとSWOT分析を行ったのではないだろうか。
仮説であるが、正信の立場に立って、少しSWOT分析を整理して見てみよう。(SWOT=Strength:強み、Weakness:弱み、Opportunity:機会、Threat:脅威)
これは現代でも、キャリア戦略を考える場合や転職した場合に、付加価値を作る際の参考になろう。
S:強みとしては、他の組織や諸国の政治・経済のやり方などを見たことによる広い視野と経験、それにもとづく情報分析力&情勢判断力があったのではないか。また、それらを駆使することで戦略構想力などの戦略立案能力も、プロパーの人間や武功派の人間よりも優れているのではないか。
自分は徳川一辺倒の純粋培養の人間ではないので、他人の冷たい飯も食い、広く世間を見ていて、大局的な幅広い見方が客観的にできる。だから他よりも多角的な角度から正確な分析や判断、対応ができる。これも自分の特徴であり、強みではないか。
W:弱みは、忠誠心に疑いが持たれ、徳川一辺倒の家臣から様々な反発があることである。一度は家康に反抗し、出奔した家臣であり、他家へ転職や放浪した後で徳川家に戻ってきた「帰り新参」であるので、非常に肩身も狭い。自分の「分」というものも考えなければならない。同時に、徳川家を含め武士の世は、武力を背景とした軍事政権なので、その辺のところをよくわきまえなければならない。
正信は、自分はこの戦国の世において、戦人、武士としての戦闘力が弱い。この点は素直に認めなければならないと考えたであろう。では、どうすればよいか。
O:機会は、戦以外での活躍である。徳川(家康)家が大きくなると、合戦での実際の戦闘能力も大切だが、徐々に内政の統治力、行政能力、管理部門の能力が重要になってくる。自分は戦闘力、武将力が劣るので、戦わずして勝つ(いわば、アライアンスや友好的なM&Aを実現していく)戦略力や交渉力など、戦以外の面で勝負しよう。
また、天下が統一されれば、戦闘能力よりも文治の統治能力が重要な時代に変化し、自分にチャンス(機会)が生まれてくる。それまで己を高め続け、日々の仕事に邁進しよう。時代が要請するキャリアというものを考え、未来の環境変化を正信はよんだ。
T:脅威は、武断派の有力家臣やプロパーの家臣に嫌われて、いつ何時足を引っ張られるかわからないという点だ。この点の危機管理をしなければならない。一番は、仮に出世しても、大きな禄を貰わないようにしなければならない。それが、脅威を克服する大きな要素となるだろう。
本多正信はSWOT分析をもとに自分の仕事術、生き残り方法を決定したことだろう。そして、どうやって徳川家康にとってなくてはならない人間になるかを考えたのだろう。その方法はおそらく、次のようではなかったか。
①不得手の合戦での戦闘能力で勝負するのではなく、自分の得手、得意を生かす。自分は文治派の優れた行政官、吏僚となって、内政の(行政)能力、政治力で徳川家に貢献する。また、「治国平天下」に貢献する。それが、自分の戦場である。
②戦いにおいては、現実の戦闘や武功で勝負するのではなく、鷹のように天高く俯瞰しながら、その鋭い目と爪をもって虎視眈々と獲物を狙うがごとく、戦わずして勝つための方策や戦略、交渉力、謀略で勝負する。そのようにして、徳川家に貢献する。
③人が嫌がる仕事やどんな小事でも喜んでしよう。人の嫌がる仕事をすることによって、徳川家に誰よりも忠義を尽くし、貢献する。特に、悪役や憎まれ役、汚れ役をする人間が必要になった場合は、自分が率先垂範し、泥をかぶる。それにより、主君・家康に報いる。
この思案が正信の中で形になったときに、腹が決まり、誰に何と言われようと、これで行くと決めたはずだ。これなら誰にも負けない、と思ったことだろう。

