信長との男色関係は根も葉もない噂

美少年説の関連事項として、森乱は信長の「寵童ちょうどう」、つまり信長と男色の関係にあったと見る人も少なくない。

だが、二人のあいだに肉体・恋愛関係があったと示す記録など、実はない。

わずかに1800年代前半に刊行された『絵本太閤記』に、「十二才にて仕官す。うつむいて菊の案内する小姓の句の如く信長の御伽をつとめた」との記載があり、この「うつむいて 菊の案内する小姓」が、江戸時代の男色の風俗を詠んだ川柳であることが指摘されている。『絵本太閤記』は信長と森乱が肉体関係にあったことを、ほのめかしているわけだ。

ただし、『絵本太閤記』は“物語”に過ぎない。信長に命じられ、森乱が明智光秀を鉄扇で叩いたなど、真相不明の話が満載なのだから、そもそもフィクションと見るのが妥当だ。

繰り返すが、信長と森乱が男色関係にあったと記した文献は、ないのだ。

『絵本太閤記』所収、鉄扇で光秀を叩く森蘭丸。左はそれを見ている信長
『絵本太閤記』所収、鉄扇で光秀を叩く森蘭丸。左はそれを見ている信長。国文学研究資料館/国書データベース

戦国時代の「男色」のウソ・ホント

戦国武将の衆道については、信長と前田利家、武田信玄と高坂昌信、上杉謙信と直江兼続なども、よく話題となる。しかし、乃至政彦氏によると、少なくともこの3組に関しても「史料の誤読、または江戸時代や昭和の創作によって広まったもの」という可能性が高いという。

例えば信玄の例――信玄が高坂昌信以外の者と浮気して、それを昌信に弁明する言い訳(書状)が残っているとされるが、乃至氏は後世の人々が明らかな読み間違いをしていると指摘し、二人のあいだに恋愛感情があったという説を否定している。ここではスペースの関係で信玄の詳解は省くが、信長と前田利家は「豊臣兄弟!」の主要登場人物でもあるので、氏の見解を紹介したい。

前田利家の言行録『利家公御代之覚書』に、有名な逸話が載っている。

安土城が完成したときの祝いの席での出来事というから、天正7(1579)年の頃だろう。宴には織田家諸将が招かれ、引き出物まで賜った。信長は家臣一人一人に声をかけてこれまでの忠心を労い、利家に対しては「若い頃、我がそばに寝かせ秘蔵したな」といった。

しかし、原文には実はこう書かれているという。

利家様 若き時は 信長公そば寝臥しんがなされ

現代語に直訳すると「信長のそばで寝ていた」――これを「床を同じくしていた」、つまり肉体関係にあったと解釈する意見が多いのだが、単に寝所の警護を兼ねて、信長のそばで寝起きしていたという意味に過ぎないのではないかと、そのように解釈することもできるというのである。

解釈は人それぞれだろうが、一概に男色関係にあったというスキャンダラスな視点で見ることもないのではないか――と、乃至氏は提言しているのだと思う。そうした見方が必要であることには、筆者も同意する。