いくつもの名前が登場し、混迷を極めた

天正10(1582)年6月2日未明は、いわずと知れた本能寺の変である。森乱は2人の弟と共に本能寺で果てた。

一方、「森お乱」の名は豊臣秀吉の逸話集『川角かわすみ太閤記』〔元和7(1621)〜寛永2(1625)年成立〕に見え、「乱法師」は発給文書などにあるという。

『川角太閤記』。赤枠箇所が「森お乱」
『川角太閤記』。赤枠箇所が「森お乱」。国立国会図書館所蔵

それが、いつ「蘭丸」に変わったのか時期は諸説あるようだが、寛文年間(1661〜1673)には登場していたらしく、以降、次第にその名が定着していったようだ。その結果、18世紀後半の大名・旗本の家譜集『寛政重修諸家譜』には、「長定ながさだ(森乱はこう呼ばれることもある) 蘭丸」と、幕府公式の森家系図にも記されるようになっていた。

『寛政重修諸家譜』の森家・長定の章。左に「蘭丸」と補足されている
『寛政重修諸家譜』の森家・長定の章。左に「蘭丸」と補足されている。国立国会図書館所蔵

昔の人の名前は何が正しく、何が俗説なのか、一般人にはわかりづらい。実際、森乱本人は署名の際に「成利なりとし」という名を使用しているなど、さらに混迷に拍車をかけている。

だが、今や「森乱」を使用するのが大河ドラマの公式見解だ。

とはいえ、この名が大衆に浸透するには、時間を要するのではないだろうか。

「蘭丸=美少年説」は後年の創作

なぜ「乱」に、芳しく美しいものの比喩として使われる「蘭(の花)」の漢字をあてるようになったのだろうか――歴史家の乃至政彦氏が、『戦国武将と男色』(ちくま文庫)に興味深い話を書いており、筆者はこれが「蘭」と関連していると思われるので紹介したい。

須永朝彦氏が名著『美少年日本史』(国書刊行会)にて、次の指摘をされている。「(森乱は)江戸も後期になって出た栗原柳庵くりはらりゅうあん(故実家)の『真書太閤記』に、ようやく[生年十八歳、色白くて長高し]という具体的な記述が見られる」

ここから筆者が推測するのは、森乱が「色白くて長高し」、すなわち「美少年」だったとの印象は、『真書太閤記』が刊行された1800年代半ばにはすでに定着していて、その源流が前述の「寛文年間(1661〜1673)には登場していた」にさかのぼるのではないか、と考えられることだ。

そして、この美少年のイメージは現在まで受け継がれ、歴代大河ドラマの森乱(蘭丸)といえば、美形の若手俳優が演じるのが通例となった。

ただし乃至政彦氏は、「信憑性は云々するまでもない」と『美少年日本史』が蘭丸=美しい説に疑問を呈していることを紹介したうえで、氏自身もこの意見に賛同の意を示している。そして、「美しき小姓蘭丸――とするイメージは歴史物の小説や漫画では定番だが、そろそろ退けられるべき俗説であろうと思う」とも述べている。

森乱=美少年は恣意的に創作された可能性が高く、史料から容貌をうかがうことはできない――ファンの夢がまた一つ壊れそうだが、反対に醜男の森乱が登場するドラマや小説など、それはそれで斬新ではないかと、個人的に思える。