信長は荒木家臣の妻子122人を磔に
すると信長は堪忍袋の緒が切れたのか、荒木方の人質を都や尼崎近くの七松で処刑せよと命じるのです。七松では荒木家臣の妻子122人が磔にされます(12月13日)。そして鉄砲や槍・長刀でもって次々に殺されたのです。女たちの泣き叫ぶ声は「天」にも響くばかりであり、処刑を見物していた人々は恐ろしさに消沈し、その光景は目に焼き付き、なかなか忘れることができませんでした。
雑用係の武士の妻子や付人500人ばかりは、それぞれ4つの家に押し込められて、生きたまま焼き殺されます。その凄惨な光景に見物人は目を覆ったとのことです。12月16日には荒木一族の妻子が市中引き廻しの上、六条河原で処刑されます。
美人妻だしは六条河原で斬られた
その中には村重の妻・だしもおりました。『信長公記』によると、だしは21歳の若さであり、評判の美人だったようです。だしは夫や自分の運命を恨む気配はなく、護送の車から降りる時は帯を締め直し、髪を結い直すという落ち着きぶり。従容として斬られたのです。
荒木一族の妻子は見事な最期を迎えますが「下女」や召使いの女たちは死ぬのを嫌がり泣き叫んでいたと言います。その様を『信長公記』は「哀なり」と評しています。しかし、信長の荒木氏に対する恨みは深く、高野山で荒木方の浪人を匿っていたとして「高野聖」数百人を捕縛し、処刑したりもしています(1581年8月)。信長に妻子や家臣らを殺されて、村重としても断腸の思いだったでしょう。

