エンパシーを装備して恋愛成就
気持ちが通じ合った二人は、テーブルの上にチョークで頭文字だけを書く秘密の会話をはじめます。その内容は、かつての行き違いを謝罪し、思いを伝えあうものでした。
「も、あ、あ、こ、わ、ゆ、く」(もしも、あなたが、あのときの、ことを、忘れて、許して、くださったら)
「ぼ、な、わ、ゆ、あ、ぼ、ず、あ、す」(ぼくには、何ひとつ、忘れることも、許すことも、ありません。ぼくは、ずっと、あなたが、好きでした)
自分とは異なる立場の他者の感情に思いを馳せ、読み取り、共鳴することを、「エンパシー」と呼びます。体をともに動かして農民と気持ちをわかちあったリョーヴィンは、いつの間にかこの「エンパシー」を身につけていたのです。
恋が成就して浮かれるリョーヴィンのエンパシーは、とどまるところをしりません。自分の召使いから家族や人生の話を聞き出して共感し、近所のギャンブラーの身の上を思って涙し、道端のハトが飛ぶ姿にも感動して泣いてしまいます。
周囲の人々に心を開いたリョーヴィンは、キティとの結婚に際しても多方面からの援助を受けることができました。
とはいえ、リョーヴィンの性格ががらりと変わったわけではありません。キティが美男子と会話をするだけで拗ねるのは、相変わらずです。キティもリョーヴィンがアンナを語るときの目の輝きを見て、「あなたはあのいやらしい女が好きになったのね。誑かされたんだわ」と泣き出すくらい、嫉妬深さではいい勝負です。
しかしリョーヴィンは自分の感情と行動をロジカルに分析し、それをキティにありのままに伝えて話し合い、小競り合いを乗り越えていきます。アンナとヴロンスキーがプライドの高さゆえに本心を伝えられず、すれ違っていくのとは対照的です。
ロジカルさと共感力は両立しうる
キティは完全無欠とはいえませんが、ただ嫉妬深いだけの女性でもありません。彼女の非凡さがあらわになるのは、死に瀕しているリョーヴィンの兄の見舞いに、夫婦そろって訪れたときです。
死へのおびえから心を閉ざしていた兄が、キティにだけは心を開くのを見たリョーヴィンは、そのケアの力に感嘆します。いかなるときも観察と思考を怠らないリョーヴィンは、ケアは女の本能だからという通説には乗っかりません。キティや家政婦は、「死にゆく者のために身体的なケアよりももっと大事な何か」を知っていると考察します。
実際キティは、ヴロンスキーにフラレて体調を崩した時に過ごした療養先で、ケアのプロである女性と出会い、彼女のもとでケアの研鑽を積んでいたのです。死の問題を考察してきた男性の賢者たちだって、キティや家政婦が知っていることの百分の一も知らないだろうと、リョーヴィンは素直に尊敬するのでした。
キティとの暮らしによって、リョーヴィンはケアとエンパシーの力をますます磨いていきます。農地経営の仕事でも、権威主義的な管理をやめ、共感的なアプローチで農民たちと協力体制を築き、自分と農民たちの利益を増大させるのです。
リョーヴィンの成長を見ていると、ロジカルさと共感力は両立しうるものであることがよくわかります。ロジカルさを相手の感情を無視したり、自分の感情をごまかしたりするために使えば、人は逃げていきます。
しかしリョーヴィンは、観察したデータから自他の感情を推測・分析し、他者を尊重するために持ち前の論理的思考力を使ったことで、夢見ていた幸せな結婚生活を得られたのでした。
理屈っぽさは、ケアとエンパシーをプラスすれば、決して恋の敵ではないのです。
『アンナ・カレーニナ』(全4巻)
トルストイ、
望月哲男訳、光文社古典新訳文庫、2008年
トルストイ(1828~1910)は、19世紀ロシア文学を代表する小説家の一人。無欲・勤勉・非暴力・無抵抗・反戦を唱えるなど、思想家としても大きな影響を残す。伯爵家の四男としてトゥーラ県ヤースナヤ・ポリャーナ村に生まれる。2歳で母を、9歳で父を失い、叔母が後見人となる。カザン大学中退後、勉学と農民生活の改善事業に取り組むも挫折。1851年、23歳でコーカサス戦線へ赴き、52年、第一作『幼年時代』を発表。クリミア戦争には将校として従軍。56年に退役後、村に戻り、所有農奴の解放を試みる。62年、ソフィヤ・アンドレーエヴナと結婚し、文筆活動に専念。69年には『戦争と平和』、77年には『アンナ・カレーニナ』が完成。他の主著として『復活』(1899)などがある。(編集部)


