幕府、藩閥、敵対した双方から愛された男
龍馬は1867年の年頭、西郷に対して、新しい政府には参加せず「世界の海援隊」をやりたいと告げた。のちに板垣も、「もし龍馬が生きていれば政府の元勲にはならず、大財閥の盟主になっただろう」と語っている。とはいえ、弥太郎はたびたび海援隊のメンバーに金をせびられていたというので、龍馬の商才はちょっと疑わしい。
そんな龍馬だが、依然として人気が衰えないのはなぜだろうか? おそらく、それは幕末の志士たちのなかで、最も「自由」と「青春」を体現しているからだろう。
木戸孝允や西郷隆盛らは藩の組織のもとで動いていたが、龍馬は脱藩浪人として独自に行動していた期間が長い。そして、大久保利通や伊藤博文らのように権力者になることもないまま死んだ。
明治維新後、かつて幕府に属していた勝、新政府で権力の頂点に立った長州藩閥の山縣有朋、伊藤、これと敵対して自由民権運動を起こした板垣、大隈重信と、立場の異なる者たちが、口をそろえて龍馬のことは好意的に語っている。彼らにとっても、龍馬は過ぎ去った青春の象徴だったのだろう。



