元土佐藩士・坂崎紫瀾が猛アピール
志なかばで早死にした龍馬は、明治維新の直後、世間にはほとんど知られていない人物だった。それが、1885年に作家の坂崎紫瀾が著した小説『汗血千里駒』によって一気にメジャーになる。
坂崎は元土佐藩士で、板垣らとともに自由民権運動に参加していた。それで「今でこそ政府は薩摩と長州の奴らがデカい顔をしちょるが、われら土佐にも、こんなヒーローがおったんじゃ!」と龍馬の活躍をアピールしたのだ。もっとも、坂崎の筆はかなりいい加減な誇張が多く、当人もそれを認めている。
その後、高知県出身の歴史家である岩崎鏡川が、龍馬が残した手紙などをまとめた『坂本龍馬関係文書』を1926年に刊行。続いて1929年に、龍馬の足跡を詳細に追った『坂本龍馬 海援隊始末記』を、平尾道雄が刊行する。
平尾は土佐藩主を務めた山内家の家史編修所で働き、高知新聞社の嘱託、四国学院大学教授も務め、土佐藩についての書物を数多く残した。いわば、龍馬を生んだ高知お抱えの郷土史研究者だ。
龍馬の功績とは一体何だったのか
これらをもとに書かれたのが、1963〜66年に『産経新聞』に連載した司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』だ。龍馬を題材にした最も有名なエンタメ作品だろう。
その内容は、話を盛った不正確な部分も含めて、ほぼ『汗血千里駒』が元ネタといえる。『竜馬がゆく』は、1968年に北大路欣也主演でNHK大河ドラマとして放送された。本作によって、「~ぜよ」といった土佐弁でしゃべる龍馬のキャラクターが定着する。
現実の龍馬の業績はそんなに大きくない。先に触れた薩長同盟と「船中八策」の件だけでなく、海援隊も龍馬の死後あっさり解体されてしまった。海援隊の残務処理を引き受けたのは、同じ土佐出身でのちに三菱財閥を築いた岩崎弥太郎だ。
海援隊の一員だった陸奥宗光は後年、西洋諸国との不平等条約の改正という大手柄を立てるが、龍馬の死から約30年もあとの話で、龍馬の間接的な功績というのはちょっと無理がある。
