「お前は平凡に生きなさい」
昭和13(1938)年、日中戦争の翌年に、一家が東京に居を移したのも、「水甕」のためだった。「中央」で発行する雑誌であることこそ、結社の悲願だったからだ。こうして中野区にある松田家が、「水甕」の発行所となった。
「夫婦で、水甕を背負ったわけですよ。母は大変だったと思います。結社の人たちの旅館みたいなものだったから」
12歳だった春日さんは東京で女学校に入り、卒業後は千代田女子専門学校に進む。実母が大正初期であっても大学で学んだというのに、なぜ、専門学校だったのか。
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