「お前は平凡に生きなさい」

昭和13(1938)年、日中戦争の翌年に、一家が東京に居を移したのも、「水甕」のためだった。「中央」で発行する雑誌であることこそ、結社の悲願だったからだ。こうして中野区にある松田家が、「水甕」の発行所となった。

「夫婦で、水甕を背負ったわけですよ。母は大変だったと思います。結社の人たちの旅館みたいなものだったから」

父で歌人の松田常憲氏。娘には平凡に生きよと願った
父で歌人の松田常憲氏。娘には平凡に生きよと願った(写真提供=春日さん)

12歳だった春日さんは東京で女学校に入り、卒業後は千代田女子専門学校に進む。実母が大正初期であっても大学で学んだというのに、なぜ、専門学校だったのか。