海外に飛び出した日本酒業界の反逆者
人口減少が進む山口県。地元向け廉価酒の市場は、かなり昔から飽和しつつあった。桜井氏は国際ビジネスニュースサイトのワールドフォリオの取材に対し、地元市場からの完全撤退こそが最も重要な経営判断だったと語る。
その後、東京へ転進。「戦略的な野心というより、生き残りのための必然」だったと振り返る桜井氏。都会の巨大な市場で埋没しないために選んだのが、純米大吟醸への特化だった。やがて桜井氏は、この高品質路線を足がかりに海外へと歩みを進めていく。
だが、日本酒業界において桜井氏は、孤独な戦士でもあった。1990年代、旭酒造は旭富士ブランドで大衆酒を造っていたが、経営危機に瀕していた。周囲はプレミアム路線への転換に反対した。桜井氏は、「生き残りをかけた問題だった」と、一歩も引かなかった。
桜井氏は、杜氏の聖域であった醸造のあり方にも踏み込んだ。杜氏制度とは、旭酒造などのブランドを持つ「蔵元」とは別に、酒造りを統括する「杜氏」とその職人集団が外部から訪れ、別組織として醸造を担う仕組みだ。江戸時代以来の伝統的な協業体制である。桜井氏は「本当においしい酒を作りたかった」との一心で、杜氏に品質の向上を求め続けた。やがて杜氏は去った。
追い込まれた桜井氏は、伝統的な杜氏制度と決別した。醸造を外部の専門職に委ねるのではなく、若手の自社チームを一から築き上げる。データによる酒造りの始まりだ。何も壮大な構想ではなく、「喫緊の課題への対応」だったと、ワールドフォリオの取材で振り返る。
業界の一部から「反逆者」とされると同時に、時に「革命家」とさえ評されるようになった桜井氏。その評価を受け、さらなる大胆な決断へと同社は歩み出す。
130億円を投じたニューヨークの醸造所
父・桜井博志会長が切り拓いたプレミアム路線を、息子の桜井一宏社長が継承。そのビジョンはついに、太平洋の向こう側、アメリカへとリーチを広げた。
旭酒造は2023年、ニューヨーク州ハイドパークに約5100平方メートルの醸造所「獺祭ブルー(DASSAI BLUE)」を開設。テニスコート26面分相当の広さだ。
米ビール業界専門誌のブリュバウンドによると、その投資規模は約8000万ドル(当時のレートで約80億円)に上る。
最大の課題は水だった。ワールドフォリオは、山口の軟水と異なる現地の硬水の影響で発酵が速まるため、醸造工程の見直しを迫られたと伝える。
一方、嬉しい誤算もあった。懸念していた人材面の不安は、完全に「思い込みだった」と桜井社長は振り返る。日本の職人精神はアメリカ人スタッフにもしっかりと伝わり、現地スタッフが高い誇りを持って酒造りに取り組んでいるのだという。
ラインナップの第一弾「獺祭ブルー50」は、すでに市場に出回っている。ニューヨーク・タイムズによると、玄米を半分まで磨く精米歩合50%の大吟醸で、メロンを思わせるフルーティーな香りが特徴だ。アルコール度数は14%と低めで、価格は約35ドル(約5600円。5月25日現在のレート、1ドル159.19円で換算)。原料米はアーカンソー州でも栽培されるようになった。
アーカンソーで育てた米を、ニューヨークの水で醸す。「革命家」の血を継ぐ獺祭が、アメリカで根を下ろし始めている。

