蘭丸より信長の側にいた2人
その「もしや」の通りだった。秀一、仙千代もまた、小姓として信長の寵愛を受けた人物だった。
尾張国出身で、父も織田氏家臣だった秀一は、小姓として側に仕え、信長の男色相手として寵愛を受けたという(『武家事紀』)。もっとも、単にかわいがられていただけではなく、荒木村重の謀反に端を発する有岡城攻めなど、戦場にもいた。本能寺の変の際は家康の伊賀越に道案内として同行。以後は秀吉に従い、小牧・長久手の戦い、紀州征伐、小田原征伐にも参陣している。さらには1592(文禄元)年の文禄の役では朝鮮半島にも渡っている。
もうひとりの仙千代は出自不明。彼も戦地に足を運んでおり、有岡城攻めでは秀一とともに前線へ。鉄砲隊を率いて城近くまで攻め入るも討死にした。
この討死によって仙千代から秀一へと譲られたのが、安土城内の邸宅だった。同じ場所に二人の武将名が記されているのは、そういうわけなのだ。
安土城を訪れても見逃しがち
伝・長谷川秀一邸(伝・万見仙千代邸)は、黒金門を抜けて左に折れた位置にあるが、ほとんどの安土城の訪問者はスルーしてしまう。伝・二ノ丸を経て天主へのルートは逆の右で、こちらの方は圧倒的に幅が広いからだ。



