重臣でもないのに天主近くに?
大手道の両側には秀吉、利家の名前が見られる。麓から向かって右手が伝・前田利家邸、左手が伝・羽柴秀吉邸だ。信長の甥で、明智光秀の娘を娶った織田信澄(津田信澄)や、信長の右筆(主君に代わり文書作成などを担当する文官)だった武井夕庵の名も見られる。
ところで、縄張図をもう一度よく見てほしい。武将名が記されている屋敷の中で、最も天主に近くに居を構えているのが、長谷川秀一、そして万見仙千代(重元とも)だ。よほど戦国時代に詳しい人でも正直なところ「誰それ?」という存在だろう。少なくとも秀吉や利家に比べると、はるかにマイナーで、信長麾下で残した実績についても雲泥の差がある。いったいなぜ、この二人が「最も主君のそば」にいたのか。
なお“伝”とあるのは、同時代の一次資料や発掘などで立証されていないため。従ってどの邸も後世に推定されたものに過ぎない。ゆえに、以下の話はあくまで「もし仮に“伝”が正しければ……」という前提でお読みいだたきたい。
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