「側室不在だから不可能」というウソ
男系継承という「世俗の論理を超越したルール」は、結果として皇室に政治的責任ができるだけ及ばないような構造をもたらしてきた。南北朝時代に配流された後醍醐天皇のように、個別の事案で天皇が責任を問われることはあっても、皇室自体は否定されなかった。これは皇室制度自体に、代替不可能で唯一無二の「権威」があったからに他ならない。
天皇の根拠が物理的な血筋のルール、すなわち男系継承であることの最大の政治的メリットは、あえて「無色透明」な存在に留め置くことで、世俗や権力から分離できる点だ。この仕組みが長い時間をかけて、天皇が権威として共有される要因となったのである。
一方で、側室制度がなくなったから男系継承は不可能だという主張も、必ずしも正確とは言えない。そもそも明治の前半以前は、乳幼児の死亡率が極端に高く、成人に達するのは2~3人に1人とされ、この割合は皇室や上流階級であった武家でも例外ではなかった。しかし明治末期から栄養環境や医療が発達したことで乳幼児死亡率は急減。大正期に日本の人口は急拡大し、当時の皇族の人数も拡大した。
合理性がもたらす「世俗の王室」への転落
皇室において近年、男子の誕生が少なかったのは、側室不在が原因ではなく、統計学的な「偏り」と解釈するほうが妥当だ。なにせ、この50年で生まれた皇族は9人中8人が女性だ。あと2人でも男子が多ければ、今のような状況には至らなかったはずだ。
加えて、現代の医療技術を用いれば、性別の産み分けの可能性を高めるなど、生物学的な男系維持の難易度は過去に比べれば格段に下がっている。問題は環境や技術的な側面ではなく、守り抜くという意志の有無にある。
歴史の先人たちは、側室制度の時代であっても、なぜ、何度も危機に見舞われるような「不安定さ」を承知の上で男系継承に固執したのか――。
長年の皇室の歴史は、時の政権や朝廷の判断、また国民感情が「天皇を選択した」結果ではなく、男系継承ルールによって「運ばれて」きた結果だ。それを「ふさわしいから」「長子のほうが安定するから」という理由でルール変更してしまうことは、天皇を単なる「日本で一番有名な世襲一家」に格下げすることに等しい。
「確かに、安定した長子相続は、国民感情が寄せやすく、一見すると現代的で合理的に見えます。しかし、その合理性ゆえに『代替可能な世俗の王室』へと転落するリスクを孕んでいるのです」と施教授も指摘する。
