女系容認派の「解釈」は無理筋すぎる
女性天皇が母娘で2代続いた奈良時代の元明天皇(夫は天武天皇の子・草壁皇子=男系)と元正天皇の例をもって「女系天皇は認められていた」という意見があるが、父方を根拠とする皇統において、母方の視点は元からない。
奈良時代に成立した養老令における「継嗣令」において女帝の子の即位が認められていたという解釈も、当時以前の女性天皇の即位前の配偶者は、例外なく男系の皇族であり、男系継承は維持されているという考えが前提にあったと解釈するのが自然だ。
江戸時代中期、学者・幕臣の新井白石は朝廷の財政難の中、男系による皇統断絶の危機を避けるため、新たな宮家「閑院宮」家の創設に尽力した。その結果、先代から7親等離れた光格天皇を輩出しており、現天皇家もこの家系だ。
近世にあっても、遠縁でわざわざ男系男子が継承した例を見れば、そこには男系絶対の“不文律”が存在していたことは明白だ。系譜上の男系継承の事実より、女系天皇を正当化する一部解釈のほうを優先すべきという主張はやはり厳しいだろう。
皇室典範の起草者が語ったこと
大日本帝国憲法の起草者の一人であり、皇室典範を起草した井上毅は「継体天皇の時のようなことがあれば、100世にまでさかのぼってでも御裔孫に皇族となっていただく」と語ったという。
井上は古事記や日本書紀などの古文書を研究し、皇位継承においては男系という“物理的な制約”こそが、天皇個人の資質という固有性、ならびに流動的な時代の権力や世論による、影響や関与を防ぐための「唯一の防壁」であるという確信を持っていたのだ。施教授も「男系継承のシステムは、時の権力や世論による恣意性を排除するための『参入障壁』として機能しうるのです」という。
もし一般人から配偶者を迎える現代の皇室で女性天皇が認められれば、その子が即位する「女系天皇」移行の議論や国民感情の高まりは論理的な必然となる。しかし、一度でも女系を容認すれば、それは仮に物語であったとしても、広く公式な歴史として共有されている「万世一系」の終焉を意味する。
ここで「愛子内親王を天皇にする理由」を問い直す必要がある。それは「人気があるから」か、それとも「長子(直系)のほうが安定的だから」か、その両方か。もし世襲前提で、「人気」や「ふさわしさ」を即位の根拠に加えるならば、前述の通り次の世代が国民の期待に沿わなければ、その瞬間に皇室の存在意義そのものが問われることになる。

