思想家の頼山陽(1780〜1832)も『日本外史』で、秀次を切腹に追い込んだ「陰湿な戦下手」と評している。策謀家・三成の悪評は、これらの書によるところが大きいかもしれない。
それが明治維新後、家康中心の史観が見直され、三成も再評価されるようになる。昭和6(1931)年、菊池寛は三成を秀吉の恩義に報いようとした忠臣と位置付けた小説を発表。さらに第二次大戦後は、司馬遼太郎が名作『関ケ原』(昭和39/1964年)で高潔な正義感を持つ忠義の者という人物像を打ち出し、三成復権への足がかりとした。
歴史研究のジャンルでも、渡辺世祐氏の『稿本 石田三成』(1907)に始まり、今井林太郎氏(1961)、安藤英雄氏(1985)、桑田忠親氏(1989)、小和田哲男氏(1997)らが忠臣、名将、優秀な実務官僚と評する論考を著し、「奸臣」の印象はだいぶ払拭された。
一方、近江に関する歴史に詳しい史学者の太田浩司氏は、「忠義の臣と、とらえるのは正しくないと思っている」と語り(『近江が生んだ知将 石田三成』)、当時にあって新たな国家像を持っていた政治家だったと捉える必要があると、力説している。
「人間・三成」には、まだまだ、わからないことが多い。今後もさまざまな論が出てくることだろう。
裏方にいたから輝けた
その新たな一説に位置づけるにはおこがましいが、「司馬史観(司馬遼太郎の小説による史観)による忠臣」という評価もすでに前時代的で、今後は「実務に長けた補佐役」という客観的な評価がより一層進むのではないかと、個人的には思っている。
逆にいえば、本来No.2にあるべき実務型ゆえ、トップに不向きだったのではないか、ということだ。
三成は、あくまで「裏方に徹して輝くタイプ」だったのではなかろうか。それが否応なく大軍を率いる立場になったとき、欠点が露呈した。論理的・効率的ではあるが、それだけでは勝利はつかめない。人の心を動かすには「褒美を与える(現代でいえば高報酬で報いる)」という現実的な動機付けも必要となる。
三成は、それが家康より劣っていた。ただそれだけのことである。
少子化が進む日本では、これからは賃上げが重要視される時代だ。どれだけ高収入を約束するかが、人材を確保する鍵となるだろう。理想主義的な三成の統治観は現実政治との折り合いという点で課題も抱えており、そこが令和時代には反面教師となる可能性があり得ると思う。
参考図書
・中野等『石田三成伝』(吉川弘文館、2017年)
・太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成(淡海文庫44)』(サンライズ出版、2009年)
・『歴史道Vol.4 その漢、石田三成の真実』(朝日新聞出版、2019年)


