「筑州家中出頭面々」には他にも「羽柴小一郎(秀長)」「堀久太郎(秀政)」「浅野弥兵衛尉(長政)」「増田仁右衛門(長盛)」ら、豊臣政権の中枢に座る者たちの名が並ぶ。三成はこのとき24歳で、ひと際若い。若年にしてすでに家中で卓抜した存在だったことがうかがえる。
また同年「正月廿三日」付け、差出人が「石田左吉」の書状も確認され、このときの花押が「三也」と読めるのが興味深い。実名はそもそも「三也」だったのだろうか。
毛利輝元が評した「当時肝心之人」
三成は、秀吉が発給する文書の「副状」(秀吉の意図を反復してより詳細に伝える文書)を担当することが多かった。つまり、秀吉の方針を正確に代弁する立場にあった。秀吉からの信頼が篤かったのは疑いようがない。
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