人間の脳は因果を考えてしまう
がんの因果について考えたところで、結論は出るはずがない。しかし、不思議なもので、人間というのは結果がわからない中途半端な状況におかれるよりも、悪い結果であっても知らされた方が落ちついたりする。いったいどうなるのだろうかと考え続けるのはストレスにもなるし、心理的によろしくない。
なので、完全に間違えていても「あぁ、あれこそが原因やったんや」と解釈してしまう方がましなこともあるかもしれない。とはいえ、原因を特定できたと考えて、あんなことしなければよかったと悩むのはまったくよろしくない。いくら悔やんだところで、何もいいことはないのだから。
がんになった因果など考えても仕方がないと言われても、つい考えてしまうのが、それこそ因果な人間の性である。これは人間の脳の「因果を求めすぎるクセ」だけでなく、社会が作り出した〝物語〟の影響も大きい。人間は世界をあるがままに見るのではなく、外部からさまざまな影響を受けて、自分の物語を作り上げたがる。
今も「がんは不治の病」と信じられている理由
「ミーム meme」という言葉がある。「遺伝子 gene」と対をなす概念として『利己的な遺伝子』(紀伊國屋書店)で知られる進化学者リチャード・ドーキンスが作り出したものだ。遺伝子が世代を越えて伝わる「からだを作るための生物学的な単位」であるのに対して、ミームは信じられることによって人から人へと伝わっていく「文化的な単位」である。少し、がんについてのミームを考えてみよう。
かつて、がんは不治の病と捉えられ、人から人へとそういうミームが伝わっていた。現在では必ずしも正しくないのだが、昔のままのミームがしつこく生き残っている。がんに罹る人がいまほど多くなかったので、がんになる人は運が悪いというミームもある。
がんになる率が5割を超えている現代なのだから決して正しくはないのだが、このミームもなかなかなくならない。新しい情報を脳にインプットできても、すでに棲みついたミームを消し去ることはけっこう難しい。このことはしっかりと理解しておくべきだ。
がんになったのには何がしかの因果応報であるなどというミームなどはもっての外だ。がんになることは覚悟しておいた方がいい。しかし、恐がりすぎない方がいい。これが現代における正しいミームである。
できれば、いざ、なってしまった時には、「がんは運やからしゃぁない」と割り切り、勇気を持って立ち向かうというミームも広がってほしい。


