「気分が楽になりました」がん患者からの感想
しぶしぶだったのには理由がある。拙著『こわいもの知らずの病理学講義』(晶文社)をお読みになられたがん患者さんからいただいたメッセージが頭にあったからだ。「がんを患ってからずっと、あれをしたからがんになったのだろうかということをいろいろと思い悩んできました。でも、先生のご本に、がんは運である、ということが書いてあったので、すごく気分が楽になりました」という内容だった。
「がんは運である」というのは、傷つける場合があるかもしれんけど、救うこともある。きちんと理解してもらうと、むしろ救いになる方が多いんとちゃうんかといまでも思い続けている。
人間の脳というのは、因果関係を求めるようにできている。これはおそらく、進化の過程において、その方が有利だったからだろう。因果関係は、いろいろな計画を立てたりする時や、意志決定をしたりする時に役立つからだ。
どうしてがんになったかを考える時、ありもしない因果関係を探し出したくなってしまうのはそのせいだ。そうすることによって、なんとなくスッキリするかもしれないから。しかし、一方で、いきすぎてしまうこともある。誤った推論、陰謀論、迷信などがそれにあたる。
がんについても、「あれが原因だったのではないか」という犯人捜しは、人間として自然な反応ではあるけれど、医学的には出口のない迷路に入り込んでいくようなものだ。詮ないことではないか。
究極的な原因は「生きていること」
がんの原因は、遺伝子の変異――わかりやすく「傷」と言ってもいい――による。それは、生きている限り避けることができないものである。というのは、細胞が分裂する時、非常に頻度は低いけれど、必ず遺伝子に変異が生じてしまうためだ。
しかし、細胞が分裂してくれないと、生命を維持することはできない。だから、がんになった究極的な原因は、「生きていること」と、言えてしまうのである。この理屈でいったら、どうしてがんになったかなどということは、ちょっと身も蓋もないのだが、考えてもしゃぁないということになる。
ただ、発がんの可能性を上げる、言い換えると、「がん運」(そんな言葉はないけれど……)を悪くしてしまうような要因はいくつかある。典型的なものはタバコである。喫煙は、肺がんだけでなく膵臓がん、膀胱がんなど何種類ものがんや、他の呼吸器・循環器系疾患のリスクを間違いなく上げる。
病気っちゅうのは不公平なもんや、と言ってもいいかもしれない。タバコとは無縁の生活をしていても肺がんなどになる人がいれば、ヘビースモーカーでも健康で長生きする人がいる。やはり、「がんは運である」とか、「病気は運である」と言いたくなってしまうのである。
