暴飲暴食を続けて病気になる人・ならない人

何が言いたいかというと、論理的に考えたら、「病気は運である」というのは、完全にとは言わないまでも、おおよそ正しそうだということである。しかし、「病気は運である」というと、どうにも釈然としないという気持ちが残らない訳ではない。なんでやろ?

ひとつは、なんとなく、病気を軽視するように聞こえてしまいかねないからだ。病気で苦しんでいる人やその家族に対して何の配慮もなく、「病気は運ですから」などと言い放つのはあまりよろしくはなかろう。病気の種類によって多少の違いはありそうな気がするけれど、基本的にはあきませんわな。

もうひとつは、誤解を招きかねないという理由である。

病気になるかならないかは運だという考えを強引に取り入れて、どうせ運なんやからと、体に悪いことがわかっているタバコを吸いまくるとか、肥満や高血圧といったリスクを放ったらかしにする人が出るかもしれない。これは、牽強付会というものであって、ダメすぎることは言うまでもない。

わたしが「病気は運である」と言うのは、「同じような遺伝的素因であっても、あるいは、同じような生活をしていても、ある病気になる人とそうでない人がいる」という、あくまでも確率的な意味においてである。

極端な例をあげれば、健康にはまったく配慮せず暴飲暴食、酒池肉林を続けても何の病気にもならず長生きするといった羨ましい人がいる一方で、節制に節制を重ねても病気になる気の毒な人もいる。これを運と言わずして何と言うのか。

ファストフード
写真=iStock.com/happy_lark
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ふむ。こう考えてみると、「病気は運である」というのは、おおよそ正しいけれど、使い方は文脈次第で気をつけましょう、ということになるだろう。

「がんは運である?」についたクレーム

「がんは運である?」というタイトルで講演をしたことがある。さすがに言い切るのはいかがなものかと「?」をつけたのは、科学者としての矜持というか、ただ単にびびりやすい性格からというか、なのであるが、それはまぁいい。

その講演は、録音がラジオ放送されることになっていた。講演自体はそのタイトルでおこなったのだが、放送局の人からクレームがついて、番組としてのタイトルは変更されていた。

その時の理由が、「がんは運である?」というタイトルは、患者さんを傷つける可能性があるから、ということだった。

う~ん、そやろか。タイトルだけだとそう感じる人がいるかもしれないけれども、話の内容――がんの発症や治療法の有無、そして予後などには運が大きく影響するなどといったこと――を聞いてもらえたらわかるのに。という気持ちをいだきながらも、議論しても平行線をたどりそうなので、無念ながらも同意した。