史実に照らすと“変な展開”である
孤児として育った直美が庶民の結婚観しか知らないのだとしたら、まだ理解できなくもない。だがそれにしても、やっていることが無茶苦茶だ。身分を偽って鹿鳴館のメイドに潜り込み、結婚相手を探す……これ、端的に言って詐欺である。いや、詐欺師と言うのも失礼なくらい、計画性がない。
しかも忘れてはならないのが、明治のこの時期、新聞や書籍が爆発的に増えているということだ。かつ、その内容たるや、大衆が喜ぶプライバシーの暴露やスキャンダルのオンパレード。悪辣さにかけては現代のSNSなど足元にも及ばない。
「士族の娘」を騙って鹿鳴館に潜入した孤児が、海軍中尉に求婚された……などという話がバレた日には、翌週には新聞に名前が躍り、翌月には「毒婦‼ 大家直美」の見出しで本が出版されることになる。あることないことを面白おかしく盛った、読み物仕立てで。明治の出版界、そういう商売が大得意なのだ。
まあ、だいたい史実の状況を踏まえれば、このドラマ展開上の小日向の求愛は、しょせん、行きずりの関係としか思えないわけだが、読み物になってる頃には毒婦が海軍中尉を騙した話になるだろう。
……爽快なヒロインのはずが、史実の文脈に置いてみると、スキャンダルの火種でしかない。
「上流婦人を手伝う展開」には無理がある
そして、極め付きは身分詐称を捨松に見抜かれるが、炊き出しの手伝いを頼まれる展開である。捨松が鹿鳴館で上流階級の婦人達を巻き込んで慈善事業の資金を集めるためのバザーを開いたのは史実である。
でも、この慈善活動とは「上流婦人が主催し、下々の者を助ける」催しである。施す側と施される側が、厳然と存在する。身分詐称を看過したとしても、素性不明の孤児を、上流婦人の慈善活動の「手伝い」として取り込むのは、いささか無理がある。
そもそも、この時代のキリスト教……主としてアメリカから来た改革派系教会が行っていた貧民救済とは、孤児の養育、女性の保護・教育、そして病院の運営が主たるものだった。食事を施すだけの炊き出しは、その活動の中心ではない。そこに軸をおいてドラマを展開するのは、この時代を必死に生きた人たちに、いささか失礼ではないか。
さて、そんな直美のモチーフとなったのが、大関和とともに日本初のトレインド・ナースとなった鈴木雅である。

