【田原】エリトリアへは、いきなり行ったのですか。
【土井】まず向こうの法務省に電話したのですが、エリトリアの言語しか通じなくて断念しました。仕方がないのでいきなり押しかけたのですが、吉岡さんのつながりで紹介を受けたら、法務大臣に会えることに。法務大臣に「法律をつくるボランティアをしたい。1年間雇ってくれないか」と直接頼んだら、その場でオーケーをもらえました。
【田原】身元調査はされなかったの?
【土井】まったくなかったですね。法務大臣が「いいよ」と言ったら、もうそれで問題なしという感じでした。
【田原】へえ、おもしろいね。具体的にはどういうお手伝いをしたのですか。
【土井】憲法はほとんど出来上がっていたので、私は刑法の国際調査を担当しました。いろんな国の刑法を調べて、他の国ではこうですよと。
【田原】調べるって、どうやって?
【土井】当時はまだエリトリアにインターネットがなく、足で調べるしかありませんでした。エリトリアにある各国の大使館に「あなたの国の刑法を教えてください」と尋ね歩いたり、アスマラ大学という向こうの東大のようなところに行って文献を探したり。図書館には30年前の本しかなく、大学図書館に法律の文献を寄付しようというキャンペーンを立ち上げて、ハーバード大などから本を集めたりもしました。
【田原】エリトリアに、どれくらいいらしたのですか。
【土井】ちょうど1年です。じつは私が帰る1カ月くらい前からエチオピアとの国境紛争が始まっていたのです。私が出国した1週間後に首都が爆撃されて、在エリトリアの日本人はみんな緊急脱出しました。だからもっと手伝いたくても、結局は1年で帰ることになっていたと思います。
1975年、神奈川県横浜市生まれ。私立桜蔭中学、桜蔭高校卒。東京大学法学部3年時に司法試験に合格。ピースボートの世界一周クルーズに参加し、エリトリアの状況を知り、その後、エリトリアに渡る。2000年弁護士登録。05年ニューヨーク州弁護士資格取得。06年ヒューマン・ライツ・ウォッチに参加。09年から現職。
田原総一朗
1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所、テレビ東京を経てフリーに。活字と放送の両メディアで評論活動を続けている。『塀の上を走れ』『人を惹きつける新しいリーダーの条件』など著書多数。