ポツダム宣言を繰り返したに過ぎない
背景には、法的な理由があった。
日本は1952年に発効したサンフランシスコ平和条約で台湾に対する領有権を放棄したため、「放棄した台湾がどこに帰属するかはもっぱら連合国が決定すべき問題であり、日本は発言する立場にない」という立場をとった。
前記の「十分理解し、尊重」は、1972年に米国が中国と合意した上海コミュニケで採用した文言の「認識する」(acknowledge)より踏み込んでいるが、最終的には「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」との文言を加えて決着した。
これはどういう意味か?
ポツダム宣言第八項では、「カイロ宣言の条項は履行せらるべく」とあり、そのカイロ宣言は、「満洲、台湾及び澎湖島の如き日本国が中国人より盗取したるいっさいの地域を中華民国に返還することにあり」と規定されている。
したがって、「中華民国への返還」を日本が認めたと中国側が解しうるようにした一方、日本側からすれば、すでに受け入れていたポツダム宣言を繰り返したにすぎない。
中国の立場を正当化してしまうとの危惧があった
こうした条約解釈論とは別に、より根源的な事情があった。
すなわち、中国の主張どおりに台湾が中国の領土の不可分の一部であると認めれば、台湾を武力で解放する最終的な権利を有しているという中国の立場を正当化してしまうとの危惧があったのである。
だからこそ、1972年の衆議院予算委員会で当時の大平正芳外務大臣が述べた政府統一見解、すなわち「中華人民共和国政府と台湾との間の対立の問題は、基本的には中国の国内問題であると考えます」というくだりの「基本的には」に重要な意味が含まれている。
「台湾の問題は、台湾海峡を挟む両当事者の間で話し合いで解決されるべきものであり、(中略)しかし、万万が一中国が武力によって台湾を統一する、いわゆる武力解放という手段に訴えるようになった場合には、これは国内問題というわけにはいかないということが、この『基本的に』という言葉の意味である」とまで当時、外務省条約課長だった栗山尚一氏は喝破している(「日中国交正常化」早稲田法学第74巻第4号、1999年)。

