アサド元大統領のモスクワ逃亡

ただ、それが不可解。

というのも、すでにその頃、シリアの内戦はアサド派の勝利でほぼ収束したと見られていたからだ。

ドイツ国内でも、そろそろシリア難民を帰国させてはどうかという議論が起こっていた。だから、アサド大統領がモスクワに逃げたのは、誰の目にもいかにも唐突に映った。

なぜアル・シャラア氏のHTSは、あっという間に形勢を逆転できたのだろうか?

しかも、その後の動きも早い。

翌月25年1月にはHTSがトントン拍子で「シリア救済政府」を樹立し、アル・シャラア氏が暫定的とはいえ大統領に就任。

同年7月、米国がHTSをテロ組織指定から外し、9月には氏はニューヨークの国連総会で演説。さらに11月、正式にワシントンに招聘され、トランプ大統領と会談。シリアの国家元首(!)による米国の訪問は1946年以来だというから歴史的邂逅だ。

さらに驚くのは、アル・シャラア氏率いる新生シリアが、アメリカ主導の「対IS国際有志連合」の加盟国となったこと。

しかし、繰り返すようだが、HTMもIS(イスラム国)も、ジハード主義のイデオロギーに根差した武装組織で、素人目には、どちらがどちらを成敗しても縄張り争いにしか見えない。

だから急に、勝者はHTMで、そのトップであるアル・シャラア氏がシリアの国家元首だと言われても、ピンと来ない。

国連が彼に何を期待しているのか、米国が何を目論んでいるのかもわからない。

アル・シャラー氏とはいったい何者なのか?

「私が据えた」トランプ氏の意味深発言

興味深いのは、26年2月、記者会見でシリア情勢について質問を受けたトランプ大統領が、次のように述べていたことだ。

「シリアの大統領は私が据えた人物で、実際のところ良い働きをした。彼は荒っぽい男で、教会の合唱団の少年じゃない。(中略)シリアは順調にまとまりつつある」。

わかったような、わからないような……。

米国はアサド政権を潰せなかったので、アル・シャラー氏を投入したということ?

しかし、アフガニスタンと同じく今回も、シリアが“順調にまとまりつつある”などとは誰も思っていないのではないか。

アサド前大統領は、シーア派の少数一派であるアラウィー派に属していた。しかし、国民の大半はスンニ派だったため、アサド政権はスンニ派を極度に警戒。そのため、反政府活動を行うテロリストたちを徹底的に弾圧、拘束、処刑した。

しかし、政府に従順ならば、異教徒というだけであえて迫害することはなかった。それどころか、キリスト教に関しては、信者をイスラム過激派の攻撃から守るという立ち位置を取り、味方として取り込んだ。

アサド夫人がイースター時に教会を訪れ、信者たちをハグしている微笑ましい映像なども残っている。

もちろん、これらは政権のプロパガンダの一環でもあったが、しかし、現実としてアサド政権下では、キリスト教徒はクリスマスやイースターを祝うことができた。また、同じく異民族クルド族もアサド側に立ち、イスラムの過激派を相手に戦っていた。

シリアのバッシャール・アサド元大統領(右)と、アスマ夫人(左)
シリアのバッシャール・アサド元大統領(右)と、アスマ夫人(左)(写真=インド大統領事務局/GODL-India/Wikimedia Commons