切り取られ、食用にされた生殖器
4つ目は、同じく暁明の『広西文化大革命痛史鉤沈』が伝える事例である。1968年7月、広西チワン族自治区の武宣県通衢区で地主・甘大作の生殖器が切り取られ、食用にされた。まだ生きているうちに切り取って食べようとしたことから、甘は「おれを殺してから食ってくれ」と叫んだという。
じつはこの地域だけでも、計526人が食人の被害に遭っている。文化大革命の後、広西チワン族自治区全体で4万7671人が食人行為をしたかどで処分を受けた。ちなみにこの数字は政府の調査によるもので、実際に一体どれほどの人が食べられたかは分かっていない。
「広西の食人」は湖南省道県の虐殺と並び全国的に有名であり、のちの1980年代には大きな問題となったが、結局のところは政府に抑え込まれて深くタッチされることがなく、全容は判明していない。
「搾取階級を革命的群衆が食べて恨みを晴らす。搾取階級に手柔らかくしてはならぬ」と説明されるものの、実際のところは搾取・被搾取関係にはない村人同士の争いに過ぎないと指摘されている。
その蛮行が革命の名の下に隠され、一時、市場では人体のさまざまな部位が食肉として売買されていたとも報告されている。
これらの蛮行も振れば文化大革命芸術として広められた既述の『白毛女』や、毛沢東が1927年に書いた地主打倒の考え方および暴力的な実践方法を示す論文『湖南農民運動考査報告』にまでたどり着くため、深い追及がなされなかったということである。
「よい人間が悪い人間を殺すのは革命的」
5つ目の事例は、家光路著『文化大革命武闘』に記されている。
1966年8月3日深夜、北京郊外大興県大辛荘郷で、高福興と胡徳福らに率いられた貧下中農協会のメンバーたちが村民を集め、上は8歳から下は赤ん坊まで106人を処刑し、刀で斬っては井戸に放り込んだ。
先に青少年を処刑し、残りの女性はレイプしてから殺害したという。やはり隣人同士の間で起きた虐殺だが、公安部長・謝富治による「悪い人間がよい人間を殺すのは悪いが、よい人間が悪い人間を殺すのは革命的な行為である。革命的群衆の行動は止めない」という趣旨の発言と扇動が源といわれている。
私があえて以上の残酷な事例を取り上げたのは、中国政府はこれらの事件を紅衛兵、とりわけ造反派紅衛兵のせいにしようとしたからだ。
留意したいのは、たとえ虐殺が公安部長の発言に触発されたものだったとしても、あるいは政府が造反派の責任にすり替えようとしたとしても、より重要な点は別にある、という点だ。
それは、毛沢東と江青が文化・芸術を使って無学の農村社会の中国人農民たちに搾取階級への憎しみを植え付けた、ということである。そして搾取階級が相手であれば何をしてもよいという思想・洗脳教育が過熱し、紹介したような事例に発展したということである。

