芸術の戦闘力、プロパガンダの力

これこそがまさに芸術の戦闘力、プロパガンダの力であり、その力はソ連や東欧諸国以上に中国の農村で猛威を振るうことになった。

当時の中国の農民は識字率が低いため、分かりやすい演劇が農民の動員に大きな役割を果たしたということだ。

以下、中国農村における直視に耐えない暴力の事例を紹介していこう。注意してほしいのは、これらはとりわけ特殊なものを意図して拾ったわけではなく、近年明るみに出た文化大革命研究の現地調査と第一次資料に基づく典型的事例だということだ。

まず、1つ目の事例である。譚合成著『公元1967年湖南道県文化大革命大虐殺記録』に記されたものだ。1967年8月2日午前、湖南省道県楊家人民公社家家村生産大隊の党書記・家書姣が命令を下し、地主の子・家生尭ら7人の地主がその場で絞殺された。

9月1日にはさらに人の地主が惨殺され、人民公社全体で533人が殺害されたといわれている。ただ、一つの人民公社に実際これほどの数の「搾取階級」がいるわけはなく、そもそも地主は既に土地改革・鎮反運動でほぼ消滅しているのが実態だった。

加えて、「かつての地主の子弟たちが反乱を起こそうと考えていたので殺した」という証言も出てくるが、この子弟らも現実には勢いを増した農民たちが怖く、そういった反乱を起こそうとしていたとは考えづらい。

つまり事実は、村人同士の対立が原因で、自分の意見に合わない農民を地主と認定し殺害していたということである。農民たちは「毛主席が地主を殺せと言っているので、そのとおりにした」と主張しつづけた。

ちなみにこの湖南省道県という土地は、文化大革命期における虐殺の地として広く知られている。この湖南省の事例が「革命」として、隣の広西チワン族自治区に伝わっていく。そこで生まれるのが「食人」だ。

殺害された「搾取階級」8万9810人

2つ目の事例は、アメリカに亡命した文化大革命研究者・家義ていぎが著した大部『紅色記念碑』が伝えるもので、湖南省に接する広西チワン族自治区で発生した事実である。

1967年1月3日早朝3時、同自治区全州県東山区三江さんこう人民公社の民兵隊長・黄天輝の指揮で、地主の子弟とされる7人が崖の上から突き落とされ、あるいは棒で叩き殺された。

そこには乳幼児も複数含まれていた。これがまさに隣の湖南省道県をモデルとした「地主一掃運動」だった。

3つ目の事例も、広西チワン族自治区におけるものだ。暁明ぎょうめい著『広西文化大革命痛史鉤沈』によると、文化大革命中に同自治区全体で8万9810人が殺害され、その多くが「搾取階級」とされた人びとであったという。

つまりこれも搾取階級である地主を撲滅しようという目的のもと、一般の人民を度を越した虐殺に駆り立てた事例というわけだ。

1968年3月9日、同自治区霊山県檀圩に住む若い女性で地主出身の陳振廉が、南寧地区無産階級革命派聯合指揮部のボス・陳宝声によって衆人環視の中、裸にされ、リンチされたあげくに刀で斬首された。