東急グループの“原点”
藤が丘は、多摩田園都市の中でも早い時期に土地区画整理が行われたエリアである。多摩田園都市とは、東急田園都市線の梶が谷駅〜中央林間駅の間に広がるエリアを指す。
1953(昭和28)年1月に東急は「城西南地区開発趣意書」を発表。その後、1966(昭和41)年4月の東急田園都市線溝の口〜長津田間の開通とほぼ同時に「ペアシティ計画」が掲げられた。
ペアシティ計画とは、「多摩田園都市一帯にナシの実を模してプラザやビレッジ、クロスポイントなどの拠点をつくり、その周辺に緑、交通、ショッピングなどのネットワークを張りめぐらそうという構想である」。(『多摩田園都市 歴史描画』)
この構想をもとに東急グループが結集して多摩田園都市の開発を推進。藤が丘ショッピングセンターの開発主体は東急、建設は東急建設が担った。
核店舗にも東急グループが入った。衣料品専門店の東光ホームマート、生鮮食品を扱う東光フードマートの共同店舗1号店が出店。のちに東急バラエティストアとなるこの店舗は、看板店舗といわれた。この核店舗のほか15の店舗区画が設けられた。
およそ60年前、まだ人口の定着していない新興住宅地に住み移ってきた人々の生活を支えたのは間違いなくこの場所だった。藤が丘ショッピングセンターは、東急グループが総力を挙げて開発したショッピングセンターの原点なのだ。
沿線に競合施設が続々とオープン
藤が丘ショッピングセンターの開業後、多摩田園都市を取り巻く環境は大きく変化していく。人口は当初の5万人から増え続け、1975(昭和50)年に20万人、1986(昭和61)年に40万人に達した。
また、モータリゼーションが進んだ。横浜市の自動車保有車両数は藤が丘駅が開業した1966年度に約11万台だったが、わずか4年後の1970年度には倍以上の約27万台となった。2000年には約147万台にまで増加している。(『神奈川県勢要覧』)
このように街が成熟するにつれて、ショッピングセンターに求められる役割もまた変わっていった。
1960年代は、藤が丘ショッピングセンターや青葉台ショッピングセンター、たまプラーザショッピングセンターのように日用品の提供が役割だった。それが1970年代に入ると、住民から品揃えの良い大型店が求められるようになる。
その声を受け1978(昭和53)年、東急ストアを核店舗とし50の専門店が揃うさぎ沼とうきゅうがオープン。1982(昭和57)年には、東急百貨店と70の専門店が出店するたまプラーザ東急ショッピングセンターがつくられた。
そして2000年代以降は単なる買い物の場所から、ライフスタイルを提案し、人が集う場所へと進化していく。
たまプラーザ東急ショッピングセンターは2010(平成22)年に、約1600台の駐車場を備えた巨大ショッピングセンターのたまプラーザテラスに拡張された。たまプラーザテラスは、モノだけでなく飲食やサービスといったコトの充実化が図られ、大きな広場も設けられた。


