昼酒、徹夜、ゴミの山…外国人も驚く日本の奇習

桜前線が北上を始めると人々の心は花見を待ち焦がれ浮き立つ。

花見のルーツは、自然の生命力がみなぎる春の山野で飲食し田の神を迎える農民の“野山入り”と、中国伝来の貴族の梅見で、桜に替わったのは平安時代だ。

庶民の花見は豊臣秀吉の“醍醐の花見”(1598年)などがきっかけだ。秀頼、北政所、淀殿ら近親者、諸大名からその配下の女房女中まで約1300人が参加した盛大なものだったと伝えられる。秀吉は吉野山などから都に桜を移したのだが、江戸時代には徳川吉宗らによって上野山、飛鳥山、御殿山、墨堤などに、やはり山野から移した桜で花見の名所が造られ、武士も庶民も花見を楽しむようになった。

桜といえばソメイヨシノ。この品種が広がっていったのは明治維新後だ。将軍に代わり天皇が大日本帝国の支配者となったことを示すため、帝都東京の桜ソメイヨシノが全国に、そして当時支配下の朝鮮半島などにも植えられ、帝国の春の風景として統一されたのだ。

さらに、第二次大戦中には、一斉に散り急ぐソメイヨシノが軍人精神と結びつけられた。潔く国のために命を散らすことこそ美しいと強調され、桜は日本人の国家観、季節観から死生観にまで深くかかわる、特別な花となったのだ。

桜の下で、集団で大宴会というのは実は日本だけで、朝から仕事も手につかず、新入社員が場所取りや買い出しに駆り出され、管理職もヒラ社員も飲んで、食べて、肩を組んで歌い踊るジャパニーズビジネスマンの花見に、外国人は驚く。

そもそも日頃の飲食は屋内で、ダイニング、食堂など場所も決められ、飲食物は食卓の上だ。ところが花見は屋外で、飲食物も人々も地面の上。さらに「すれすれなものは花見の幕隣」と川柳で詠まれたように、使い捨ての敷物などで区切っただけの非日常的、仮構的な空間で、見ず知らずの人々と袖振りあう。日本の慣習では食事の時間もおよそ決まっており、酒は昼間から飲むものではないとされるが、花見となると昼飲み、夜桜、徹夜の酒宴だ。

また、日頃の食事では量も常識的に決められているし、食べ物を無駄にしてはいけない。ところが花見では、節制している人までもが、この時とばかり日頃食べないごちそうや酒を大量に消費し、残り物を平然と捨てたりする。食器の使い分けもなく、プラスチックや紙の皿、割り箸なども使い捨てで、まさに“ハレの大消費”だ。

つまり花見とは、日頃縛られている常識、マナーといった規範からの逸脱が許容される、実に変な文化なのだ。

花見
写真=iStock.com/mura
※写真はイメージです

江戸も令和も花見は序列をひっくり返す装置

「逸脱」の原点は江戸時代にある。江戸時代は厳格な封建社会だから、男女、身分などによって持ち物、髪形、化粧から着物の色までも規制されていた。そんな規範だらけの社会で、花見では“貴賤群集”し、すれすれの幕隣で“良賤相混”る。仮装したり、面を着けたりして、芭蕉が「花に酔へり羽織着て刀さす女」と詠んだように、庶民の女性が異性装どころか、武士という最高位身分の象徴たる「刀」をさすといった、身分制からの逸脱までもが許容された。

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