「胸を裂いて、苦しみの塊を取り出したい」

22年前のある日、僕が仕事から家に帰って「ただいま」といっても、妻から返事がありませんでした。いつもなら「お帰りなさい」という声が聞こえるのに、様子がおかしい。

俳優 萩原流行氏

「どうしたの? 具合でも悪いの?」

そう尋ねると、「明日、病院に連れていってほしい」と頼まれました。その病院とは数日前、NHKで紹介されていた精神病院でした。

「もう我慢できない。胸を裂いて、苦しみの塊を取り出したいの!」

妻にそういわれたときは、一瞬、頭が真っ白になりましたが、すぐマネジャーに連絡して翌日の仕事の入りを遅らせてもらい、朝一番で病院に行きました。医師はうつと診断し、妻の病院通いがはじまりました。

その頃、僕は仕事で朝6時に家を出て夜中の3時に帰るという生活をずっとしていて、妻の生活も昼夜逆転していました。しかも僕は外で弁当などを食べず、家に帰って妻がつくる食事と会話を楽しみにしていました。後から考えると、そうしたことも妻のプレッシャーになっていたのかなと思います。

うつを患った妻への接し方については、医師からこう注意されました。

「奥さんにとってあなたは旦那さんであり、父母、兄弟であり、恋人であり……。要するに奥さんにとっての全世界はあなたなんです。だから奥さんが何かいったとき、『それはダメ』という言葉は絶対に使わないでください。絶対的な存在の人に拒否されると、どうにもならなくなってしまいますから」

それ以来、僕は「ダメだ」という言葉は一切使っていません。言葉で傷つくことが多いと聞かされたので、はじめは相当、話す言葉に注意しました。ちょっとした話でも「そういうふうにとったの?」ということがあるじゃないですか。何気ない人の言葉が、心をズタズタにする。そのことが本当によくわかるようになったのは、妻がうつを発病してから数年後、僕自身がうつになってからでした。