「核兵器を取り上げる戦争」はむしろ逆効果

第三の失敗は、軍事力を使って直接的に核開発を中止させようとしていることだ。

そもそも、対イラン強硬論の最大の理由は核兵器の問題である。だが、核拡散研究や抑止論が繰り返し示してきたのは、予防戦争では核問題を根本解決しにくいということだ。

軍事力で施設は壊せても、蓄積された知識や研究者、そして開発の動機までは消せない。むしろ攻撃された側は、「次に生き残るには、もっと確実な抑止力が必要だ」と学びやすい。相手への嫌悪感だけで武力を行使しても、根本的な解決にはなりにくい。

歴史的な教訓もある。2003年に大量破壊兵器計画の解体に合意したリビアはのちに体制が崩壊したが、逆に北朝鮮は核を体制維持の抑止力とみなしてきた。権威主義体制のエリートからすれば、「核を持たなければ外圧にさらされ、持てば少なくとも大国の扱いが変わる」という冷徹な教訓が生まれやすい。

2026年2月に始まった今回の対イラン戦争も、まさにその教材になりつつある。テヘランの意思決定者から見れば、「核保有の手前で止まっている状態」が最も危ないと映っても不思議ではない。ここで危惧すべきなのは、「核を止めるための戦争」が、数年後にはより秘密主義的で地下深く潜った核開発を呼び込むのではないかという逆説である。予防戦争は極めて危険な賭けなのである。

アメリカのミサイル
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「政治的な理想」が戦争を泥沼化させる

第四の失敗は、味方に引きずられることだ。

警戒すべきなのは敵だけではない。ときに味方のほうが、大国を深みに連れていく。南ベトナム政権の脆さを米軍投入で埋め続けたとき、ワシントンは事実上、サイゴンの生存を自国の戦争目標に変えてしまった。

中東でも同じである。イスラエルや湾岸諸国の最大目標と、アメリカ自身の核心利益は本来同じではない。にもかかわらず「見捨てない」という約束が白紙委任状に変わると、限定作戦は体制転換へ、体制転換は地域秩序の再設計へと膨らみやすい。

同盟は必要だ。だが、同盟は相手を抑える保険であって、味方の最大要求を肩代わりする契約ではない。誰のための戦争なのかを曖昧にした瞬間、戦争目標は増殖し始める。

第五の失敗は、大義に酔って会計を壊すことだ。

民主主義を広げる。女性を守る。人権を守る。民間人を保護する。どれも反対しにくい。だからこそ危うい。反対しにくい標語ほど、失敗の修正も難しくなる。イラク戦争では大量破壊兵器の話が、やがて中東民主化の夢へとすり替わった。アフガニスタンでは対テロ懲罰が国家建設と女性解放の使命へと伸びていった。リビアでは「保護する責任」が政権打倒の実践に変わった。

問題は、理想そのものではない。理想が会計を壊し、撤退判断を不可能にする瞬間である。立派な目的と、実行可能な戦略は別物だ。正義の旗が高く掲げられるほど、「ここでやめるのは無責任だ」という圧力は強くなる。だが、大義は出口戦略の代用品にはならない。