ケータイの普及により援交が拡大

援交の歴史は、コミュニケーションツールの進化とともに歩んできたといっても過言ではない。時代が昭和から平成に変わると、ポケベルやケータイ電話が登場。固定電話の時代が終わり、ケータイの普及とともに人知れず買春客とつながれる土壌が整い、援交市場は急速に拡大する。

「ガラケー」と呼ばれた携帯電話
写真=iStock.com/Wako Megumi
ケータイの普及により援交が拡大(※写真はイメージです)

1999年には、NTTドコモの「iモード」サービスがはじまり匿名掲示板や出会い系サイトが出現しはじめ、さらに個人売春が容易になる。

まだ出会い系サイトの法整備が進んでいなかったのだ。女子高生はサイトを介して買春客との接触を繰り返し、路上で待ち合わせてそのままラブホテルへ、援デリ業者(※)を介さず個人で売春するようになった。

※援デリ業者 援助交際をデリヘルのように組織化した違法風俗店業者。

そのときまさに援交していた、当時16歳の少女の証言だ。

「相場は最後まで(本番行為)で5万くらい。理由は、遊ぶカネやブランド物を買いたかったから。周りの友だちはみんなやってたから、割とフツーのことでした」

そう話す口調が、なんとも軽いのだ。売春なんてたわいもないもの、といったら言いすぎか。少女らのモノサシで測れば、誰もがウリと背中合わせであったに違いない。

少女が続ける。

「罪悪感とかなかったよ。それよりお金を稼いでみんなと遊ぶこと、同じ時間を過ごすことのほうが大事だった」

「出会いカフェ」の隆盛

出会い系サイトを通じての援交は、2003年の法整備により徐々に下火になっていくが、2002年、代わりに「出会いカフェ」が隆盛し、再び援交市場は活気づく。

出会いカフェとは、表向きは男女の出会いの場を提供する店だが、裏では援交の交渉の場として機能――自然、援交目的の女子高生らが群がった。

当局が、いくら規制や摘発を繰り返しても、カネに魅せられる少女は一定数いるものである。それは買春客も、しかり。

名古屋や横浜の人気出会いカフェ店「ナナカフェ」には、女子高生だらけの「18歳以下部屋」まで登場した。

カラダを売る女子高生――リスクを承知で買う大人――媒介ツールだけが変わっても時代は続く。

「相場は下がった。でも一発ヤレば3万くらいはもらえたから、出会い系より稼げた。ほら、店舗型のため、出会い系より数が稼げるから。月に? うーん、100万いかないくらいは簡単に稼げたよ」(出会いカフェでウリをしていた女子高生)

ほどなくナナカフェは摘発され、出会いカフェから女子高生が締め出される。そしてその後の援交市場は、2008年ごろからJKビジネスに移行しつつあった。