社宅ではじめた料理教室
そんな村上さんが、本格的に料理を人に教えるようになったのは、夫の仕事の関係で東京の社宅に住んでいた27歳のとき。同僚の妻であるアメリカ人のアンさんに日本の家庭料理を教えてほしいと言われたことがきっかけだった。
「ご主人に『日本のおせち料理が食べたい』と言われたというので、わが家のおせちをお裾分けしたのがきっかけで、玉子焼きなど日本のおかずを教えるようになりました。しばらくして、アンさんが六本木のアメリカンクラブでその話をすると、日本人の夫をもつ外国人の奥さま方が『私も、私も!』と手を挙げたものだから、12名ほどに料理を教えることになったのね。社宅でしたから、会社の厚生課に許可をもらい、『アンさんの料理教室』が誕生しました。材料費をいただくだけでしたが、私も生徒さんから料理を通じて英語を学ぶことができたので、まさにWin-Winの関係でした」
商家の血筋なのだろうか、“料理を教える”という仕事に出合い、村上さんは次々とビジネスセンスを発揮していく。
3人目を出産したばかりのタイミングで「アンさんの料理教室」を始めた村上さんは、育児と料理教室を両立させるという問題もクリアした。
「日本を知ってもらうにはどうすればいいか、試行錯誤しました。アメリカやドイツ、オーストラリアの人たちが日本の家庭料理を学びたいというのですから、私も日本を背負って立つような意気込みです。でも、3人目が生まれたばかりで、子守りをしてくれる人がいなければ、どうにもなりません。私も夫も早くに母親を亡くしていますし、私の妹は当時、ニューヨークにいましたから、頼れる親族がいなかったのです。それで、同じ社宅でピアノを教えている方に3人目が生まれることを知り、その方を訪ねて『ピアノのレッスン日は、私が子どもたちを預かります。私の料理教室の日は、あなたが私の子どもを預かってくれないかしら?』と交渉したの。とても理解の早い方で、二つ返事で私の提案にのってくれました」
仕事はつかみにいくもの
村上さんの実行力の高さを物語る逸話はほかにもたくさんある。イタリア製の圧力鍋の新聞広告を見て、記載してあった電話番号に電話をし、「広告は圧力鍋の機能、ハード部分の説明です。鍋の中にビーフシチューが入っていれば、主婦のハートを鷲づかみできると思いませんか?」と伝えた。すると、すぐに担当の部長と課長が、「もっと話しを聞かせてほしい」と、村上さんの家を訪ねて来て、ビーフシチューを煮込んだ圧力鍋の一面広告撮影の仕事を得ることに。さらに、その後、圧力鍋の輸入元から『圧力鍋クッキング』の単行本を出すことになったという、まさに「仕事は自分でつかみにいくもの」を体現するエピソードも。アイデアを生み出すだけでなく、その行動力が次々と料理研究家としての活動の幅を広げていったのだった。


