※本稿は、リチャード・レスタック『いくつになっても頭はよくなる 記憶力・集中力・思考力・創造力 全部高まる28の習慣』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。
コンピューターで集中力が低下
あなたはそんなふうに考えたことがないでしょうが、じつはコンピューター上での読み書きはテレビを観るのと多くの点で共通しているのです。テレビにもコンピューターにも、画像の寄せ集め、バックライト付きの画面、ほぼ瞬間的な速さがあります。
これらの特性はすべて、組み合わされるとなおのこと、右脳を引きつけて感情移入をもたらします。すると当然ながら、対立が起こります。言葉は(少なくとも仕事のコミュニケーションで使われる言葉は)、左脳で合理的に処理されることを目的としているからです。また、言葉が画面上に現れると、紙の上で同じ言葉を読み書きしても起こらないような形で、右脳が活動を始めます。
実際、コンピューターの画面に意見を入力しているとき、同じ意見を紙に書くときとは異なる脳部位を使うのです。この違いが、軽率で無分別なメールが社内でやりとりされるという不可解な現象の原因なのでしょう。こういう場合、まるで左前頭葉の重要な能力が停止しているかのようです。
文脈のない情報は吸収できない
脳の働きが左脳から右脳へ変化することによって、注意力が続く時間も短くなります。コミュニケーション理論家マクルーハンは、「連続的・抽象的に捉える左脳ではなく、感情的に捉える右脳を使うことで、注意力の持続時間は短くなる」と述べています。加えて、『Electric Language』の中で、「われわれ読者は、長い言葉の連なりや論理的思考の筋道を味わう能力を失ったのだ」と記しています。
そして、この注意力の持続時間の減少は、「テレビやコンピューターの画面でできた環境に長くのめり込んだために生じた変化」の典型なのです。
コンピューターはまた、生のデータや情報と知識とを見分けにくくしています。文芸評論家スヴェン・バーカーツが述べるように、情報はまず文脈の中に置かなければ、吸収して知識に変換できないのです。「わたしたちはこの世界を何のつながりもない情報で満たしてしまった。その数は50年前より莫大に増えているが、ほとんどの人にとって無意味ながらくたにすぎない」と彼は述べています。
電卓によってわたしたちの計算力が落ちたように、コンピューターによって、データの糸を知識という布に織りこむ能力が奪われかねません。
「わたしたちは基本的に、集計や分類、連結というさまざまな処理をソフトウェアにますます任せるようになっている。こうした処理はかつて自分で行っていたもので、テーマについて考える作業の一部だったのだ」と、バーカーツは『Sense and Semblance(感覚と見せかけ)』(未邦訳)というエッセイの中で書いています。

