コンピューター革命がもたらしたもの

コンピューター革命によって、わたしたちの読書習慣も変わりました。バーカーツはこう指摘しています。「本から画面への変化は、知識とは何かという感覚に決定的な影響を与えた……ニュートンの物理学からアインシュタインの物理学への変化と同等かもしれない」

本に没頭し、登場人物たちの世界にすっかり入り込む能力は危機にひんしています。かわりに、ネットサーフィンのように本を流し読みするだけです。わたし自身も数カ月前に愛読書の1冊であるヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』(講談社)を読んだときに、このことを実感しました。

10代だったわたしは、1つの世界を創造するジェイムズの才能を楽しみました。その世界での「行動」は、批評家ピーター・ブルックスがかつて「意識のメロドラマ」と表現したものです。登場人物たちが静かな薄暗いベニス風の客間で、複雑に織りまぜた会話をしながらのんびり過ごしているとき、若いわたしは想像でその中に加われる喜びに浸りました。最初にその本を読んだときは、会話の機微を少しも見逃さないように、同じペースでゆっくりと読みすすめたものです。

好きだったはずの本に集中できない

ところが、20年後に再読したとき、ジェイムズが読者に要求する高度な集中力を保つのが難しいことに、わたしは気づきました。ゆっくりしたペースで読むことに耐えられなくなり、気が散って、意味もなく長引かせているような会話に少々いらだってきたのです。その会話は、匿名の書評家が「くだらない修飾的な細部の積み重ね」と呼んだものを通して、事情や登場人物の特徴を表すためのものです。

わたしの注意力は15分ほどで衰えはじめました。気がつくと、本を置いてコンピューターでヘンリー・ジェイムズや、とくに『鳩の翼』について検索しようかと考えていました。

いったい何が起きたのでしょうか? 昔大好きだった本や作家に対して、どうしてこんなにいらいらしたのでしょう? おもな理由は、今住んでいる世界よりも20年前に住んでいた世界のほうが、ジェイムズの描いた世界との共通点が多かったからです。また、コンピューターの中でもとくにワープロ機能が集中力の持続時間を縮めていて、脳に悪影響を及ぼすのではないかと、わたしは考えています。