経歴に疑いのある女中「お花」
まだ11歳の子供から母親に頼んでくれとは、もう人間として終わっている。しかし、ここで一雄の才知は優れていた。
「柳田はお葬式に来たのかい、俥を買いに来たのかい?」との子供に不似合いな反問を真向から浴びて、彼は、「偉い! 偉い! さすがはもう旦那だ」と嫌な褒め方をしましたが、彼の目の玉は変に坐っていました。
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
さらにその上をいくのが、末弟の清が生まれた時に雇った、お花という女中である。この女中は、清の出産後、体調を崩したセツのために雇われたのだが、清がなついてはいるものの、小泉家に波乱を引き起こした人物だったとして、一雄は長文を記している。
なにしろ、経歴がみんなウソだったのである。調布の出という彼女は豪農の出で、父親の宗八は楽隠居して普請などをやり、兄は小学校で訓導をしているということだが、本当なのは父親が普請=大工仕事をしていることだけで、あとはまったくのウソだった。
しかも、お花も清がなついているから首にはできないが、なかなか裏表の激しい人物だった。なのに、八雲はそんな親子に大久保の家を建てる時の普請を任せてしまった。
八雲は“警戒しながらも好意を示していた”
結果は、どういうことになったのか。
大久保の普請では宗八はかなり儲けたとのことでした。「奴は一財産を作りやがった」などの噂も耳にしました。青物と植木を調布方面へ時々買いに行く大久保在住の某地主が「あの父娘にご油断なさるな。あのお爺は今でこそ鳴りを静めているが、若いときはどうしてなかなか……身体に刺身がない(註:原文のまま)というだけで、テラ銭で食っていた男でサア。倅の小学校教員も昔の話です。悪事が露れてすぐ首になり、台湾へ人夫になっていったこともあるとか……」
(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲』恒文社、1976年)
いやいや、こんなのすぐに出禁にしろよと思うのだが、そうできないのが八雲の性格。警戒はしながらも常に好意を示していたと一雄は記している。
そう、どう考えてもヤバい人物なのに、そっちのほうが魅力的に見えてしまうから付き合いが断てないのだ。そう、アメリカ時代にわざわざスラムを探訪して記事を書いていた時のような好奇心である。
それもあるので、父親のほうはまだしも、娘のほうは裏表があり冷笑的で、末弟の清の性格が曲がってしまったという。好奇心がそこまで実害を与えると八雲は思わなかったのか? いや、思っていてもやめられないのが八雲の性格だ。

