危険すぎて誰もやらなかった「ゴリラ企画」
自分が撮りたい企画が通らない。そんなジレンマを抱えていた時、あるプロデューサーからアドバイスをもらいました。
「君の企画が通らないのは、誰でも行ける場所だからだ。誰も行きたがらないような僻地ならもしかしたら企画が通るかもしれない」
ただ、命の危険が伴う場所の取材には、ノウハウが必要です。私は学生時代に山岳部に所属していたこともあって、体力には誰よりも自信がありました。重い荷物をもって冬山を登り、雪の中でテントを張って暮らすような経験もしています。「それなら私にもできそうです」と即答しました。
そこから「過酷すぎる海外動物ロケ」というニッチな分野に活路を見出しました。寒い場所、暑い場所、山、海。人が尻込みするような環境での企画を次々と出し、その中で通ったのが「野生のゴリラ」の撮影でした。
当時はまだゴリラの生態も今ほど知られておらず、アフリカの奥地での撮影は困難を極めると予想されていました。しかし、これこそが私が求めていた「誰もやらない企画」だったのです。
京大元総長も「危険すぎる」と助言したが…
1998年、私はゴリラ研究の第一人者である山極壽一先生(現・総合地球環境学研究所所長、元京都大学総長)を頼り、コンゴ(旧ザイール)での撮影を決めました。ですが、当時のコンゴは内戦の真っ只中。山極先生からも「危険すぎるから絶対にやめたほうがいい」と言われ、周囲のテレビ関係者からも「死ぬぞ」と止められました。
しかし、何度も山極先生にお願いした結果、「そこまで言うんなら、僕のフィールドに行ってみよう」と言ってもらうことができ、コンゴでの撮影が決まったのです。ただ、現地の危険性は行ってみるまで実感できませんでした。
空港に降り立つと、街中には銃を持った兵隊が溢れていました。移動の車中、何度も検問に止められます。そのたびにトランクを開けさせられ、撮影機材の入った銀色のジュラルミンケースを怪しまれました。「武器が入っているんじゃないか」と疑われるのです。
コンゴの情勢は非常に危険でしたが、ここまで来て諦めるわけにはいきません。様々なルートで取材できないか調整したところ、奇跡的なことに、山極先生の知人であるコンゴ人の霊長類研究者の弟さんが反政府軍の幹部だったことがわかりました。彼の働きかけのおかげで、私たちはゴリラが生息する国立公園のジャングルを自由に取材することができたのです。

