28年間、アフリカで野生のゴリラを撮り続けてきた女性がいる。NPO法人「ゴリラのはなうた」代表の森啓子さんだ。銀行を辞め、1998年に内戦下のコンゴへ渡った。以来、命の危険と隣り合わせで撮影を続けてきた。なぜ彼女はゴリラを追い続けるのか。その原点を聞いた――。(聞き手・構成=プレジデントオンライン編集部、第1回/全3回)

銀行を1年で辞め、テレビの制作会社へ

私が社会人としてのキャリアをスタートさせたのは、1970年代前半のことでした。日本女子大学を卒業して富士銀行(現・みずほ銀行)に入行しましたが、当時の女性行員の仕事といえば伝票を書くことばかり。毎日8時45分から17時まで判で押したような生活に、退屈さを感じずにはいられませんでした。

結局、銀行は1年で退職しています。そんな折、親友のお兄さんがフジテレビの局員だった縁で、テレビ番組の制作会社を紹介してもらうことになったのです。「今日から来てくれ」と言われ、その日のうちにフジテレビへ。当時のテレビ業界は「教育」なんてものはありません。「何をしたらいいですか?」と聞いても「自分で考えろ」と返されるだけ。見よう見まねで仕事を覚える日々が始まりました。

情報番組のプロデューサーや、大山のぶ代さん、榊原郁恵さんのお料理番組などを担当し、キャリアを重ねていきました。しかし、私の本当の希望はドキュメンタリー番組を作ることでした。

取材を受ける森啓子さん。プレジデント社にて
撮影=プレジデントオンライン編集部
取材を受ける森啓子さん。プレジデント社にて

中国の長江やサハラ砂漠の岸辺で暮らす人々の企画書を書いては出しましたが、なかなか通りません。いい企画であっても、上司から「お前より実績のある他社の男性ディレクターのほうがうまく作れる」と言われ、私の企画を他の制作会社のディレクターに譲ってしまうこともありました。