トンデモ的な「光秀の子孫説」

山崎の合戦で光秀が敗死すると、明智一族は坂本城に籠城するが、秀吉側に殲滅されてしまう。

光秀の遺児が逃れ、その子孫が『本能寺の変四二七年目の真実』の著者であるとか、実は光秀の子が土岐家を継いで、その子孫がクリス・ペプラーだとか、ご落胤伝説は幾つかあるが、それはあくまでも「伝説」でしかない。ちょうど、織田信長が平清盛の子孫であるとか、徳川家康が清和源氏新田家の末裔であるとかと同じレベルである)。

肥後の家老となったガラシャの子孫

光秀の血脈が確かに残っているのは、細川家に嫁いだ三女・細川ガラシャ(実名・たま)の末裔だろう(細川ガラシャは三男二女をもうけたとされるが、嫡男の細川忠利と稲葉一通に嫁いだその妹は、ガラシャの子でない可能性がある)。

忠興・ガラシャ夫妻の長男である細川忠隆は、関ヶ原の合戦の際に廃嫡されたが、肥後熊本藩家老としてその子孫は脈々と続いており、政治評論家として有名な細川隆元りゅうげん、その甥の細川隆一郎、その娘の細川珠生がいる。

また、忠隆の娘から女系を通じて公家の西園寺家、正親町おおぎまち家と血筋を繋ぎ、正親町雅子は仁孝天皇の典侍てんじ(側室)として孝明天皇を産んだ。これにより、ガラシャの血筋は現在の皇室にも繋がっているのである。

小山正太郎画「孝明天皇宸影」1902(明治35)年、東京国立博物館所蔵
小山正太郎画「孝明天皇宸影」1902(明治35)年、東京国立博物館所蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ちなみに、第79代総理大臣・細川護煕もりひろは細川家の嫡流であるが、血脈的には忠興の庶子の子孫なので、ガラシャの血筋ではない。

【図表】明智光秀の子孫・皇室への繋がり
筆者作成
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