クリミア侵攻につながった決定的な出来事
【細谷】もう一つは、アメリカの態度です。これも『危機の三十年』で書いたことですが、ジョージ・W・ブッシュ政権期には、ラムズフェルド国防長官やチェイニー副大統領がロシアに対する非難や侮蔑、敵対心をあからさまに示すようになっていきました。
2001年9月11日の米同時多発テロに端を発する対テロ戦争では、米ロはお互いの国内事情や勢力圏を理解し、利用し合っていた面もあったと思うのですが、アメリカは次第にロシアへの横柄な姿勢を強めて、民主化を強要するようになり、権威主義化が進むロシアに対する警戒から、不信感を募らせてもいたのです。それを受けて、NATOに対して加盟の可能性さえも考慮しながら協力的な態度を取っていたロシアも態度を硬化させていきました。
特にロシアにとって決定的だったのは、2004年にウクライナで起きたオレンジ革命です。ウクライナの大統領選挙でロシアに融和的な候補と欧米に近い候補が争うことになったのですが、欧米派のユシチェンコが緊急入院。親露派のヤヌーコヴィチが勝利。これに対してウクライナ国内で再選挙を求める運動が展開されたのです。
結果、ユシチェンコが大統領に就任することになりました。この運動に、西側勢力が加担している、いよいよウクライナに手を突っ込んできた、とプーチンは捉えたのです。そしてウクライナへの執着と西側への敵意を強めていくことになり、2014年のクリミア侵攻につながりました。
プーチン後のロシアは
【細谷】さらに言えば、クリミア侵攻に対する国際的な非難の声が強まらなかったことで、プーチンはさらにウクライナ領内への侵攻を考えるようになっていったのでしょう。
ただし、これは「欧米がロシアを追い詰めたのだから、ウクライナ侵攻もやむを得ない」という話ではありません。
ここから得られる教訓は、価値観の異なる相手を侮辱するようなことをしてはいけないということ。そして同時に国際規範を破るような侵略的行為を許してはいけないということです。
――その二つは時に混同されがちですね。一方では相手を野蛮人扱いしたり、他方では国際規範を破るほど追い詰められていたのだからやむを得ないと擁護したり。
【細谷】これはウクライナ戦争後の対ロシア外交でも重要な論点になるでしょう。ウクライナ戦争がどのように終わるかはまだ見えませんが、ロシアは戦後、国際主義的な外交を行い、信頼を回復しなければなりません。
一方で、一時的に西側に融和的な指導者が出たとしても、それはいずれ崩壊して、より強硬な政権が誕生することにつながりかねないことにも注意しなければなりません。
ロシアの中に根を張っているナショナリズムにも目を向け、ロシアの文化や伝統に一定の敬意を払いつつ、権威主義的な体制であっても一定程度は容認し、国際的な地位を回復するための取り組みを国際社会が行っていかなければならないのです。

