だが、現実にはイラクは、多数派のシーア派と、フセイン政権下で権力を握っていた少数派のスンニ派との宗派対立に引き裂かれた。これにより、同じシーア派の大国であるイランの強硬派は、むしろ勢いづいた。

ブルッキングス研究所は、新生イラクは湾岸地域の安定に貢献するどころか、アメリカの軍事力と政治的影響力を消耗させながらイランの地域的優位を広げる「戦略的な穴」と化した、との見解を示している。

事実、フセイン政権の崩壊がもたらした権力の空白地帯を、最も巧みに埋めたのがイランだった。

アメリカが作った空白を最大限利用

米シンクタンクの大西洋評議会は、アメリカがその後、イラク統治の再建戦略を事実上放棄したと指摘する。イランにとってフセイン政権は、8年に及ぶイラン・イラク戦争(1980〜88年)でも倒せなかった宿敵だ。その宿敵をアメリカが代わりに排除してくれたとは、まさに濡れ手で粟。イランはこの好機を最大限に利用した。

イラクの政治中枢に親イラン派を送り込むと同時に、対外工作を担う革命防衛隊コッズ部隊を通じてイラク国内の民兵組織を訓練・武装した。こうした民兵は後に「人民動員隊(PMU)」と呼ばれるシーア派民兵の連合体へと発展し、イラクの治安機構に公式に組み込まれていく。

さらにイランは、イラクを経由してシリア・レバノンへと続く戦略的な陸上回廊を確立し、レバノンの武装組織ヒズボラへの物資輸送ルートなど、中東全域に影響力を広げた。

もっとも、ここまで急速な浸透には下地があった。ブルッキングス研究所によれば、イランはサダム・フセイン政権時代から、同政権に弾圧されていたイラクのシーア派やクルド人などの反体制勢力と深い関係を築いていた。イランとの連携体制が確立したことで、戦後にこうした指導者たちが一気に権力を拡大した。

2001年1月、サダム・フセインがイラクの国営テレビで演説している
2001年1月、サダム・フセイン大統領(当時)がイラクの国営テレビで演説している(写真=PD-Iraq/Wikimedia Commons

機密文書が語るイラン・イラクの「特別な関係」

アメリカが気づかぬうちに密かに根を伸ばした権力ネットワークの強大さを、2019年に流出したイラン情報省の機密文書が物語っている。

インターセプトは、2015年1月の密会を記録した公電(外務省や在外公館で交わされる暗号化通信)を報じた。それによると、イラン情報省の工作員が、イラクの首都バグダッドの大統領宮殿にあるハイデル・アル・アバディ首相の執務室を訪れている。驚くべきことに、首相が海外の工作員と面会したこのとき、秘書も第三者も同席していない。

アバディ氏自身、アメリカ侵攻後に帰国して権力を握ったシーア派の亡命政治家の一人だ。公電によると2人は、アメリカの侵攻とフセイン政権の排除で生まれた権力不在の状況は、イランにとって「利用すべき機会」であると、互いに認識を一致させた。

さらに、2014年の機密報告書には、後にイラク首相となるアーディル・アブドゥル・マフディ氏がイランと「特別な関係」にあると明記されたほか、多数の閣僚がイランへの亡命経験者であると列挙されていた。イランはこうした人脈を介し、イラク領空へのアクセスやシリアとの重要な輸送ルートを確保したと、インターセプトは分析する。