強烈な痛みで、人は変わってきた
しかし、私たちに必要なのは、「いま、ここ」から逃れて「いつか、どこか」という巨視的な視野を持つことだとエドモンドソンは言う。
確かに「いま、ここ」で失敗から感じる痛みは避けたい。しかし、より長い目でその痛みを振り返るとどうだろうか。「いつか、どこか」でその痛みは意味をもたらしているはずだ。
自分の過去を振り返ってみればわかる。自分を真に変容させているのは、いずれも一時的には強烈な痛みがあったことのはずだからだ。
多くの人たちの人生は、おそらく「取り返しがつかない失敗で『社会的な死』の淵に立ち、それでも何とかなった」という実体験によって支えられている。
「プロジェクトを潰してしまった……」その時は「人生、終わった」と思うほどの悲哀に包まれる。しかし、その胃に穴が開くような強烈な原体験も、「いつか、どこか」という視点で見れば、その後の意思決定を支える最も強固な「結節点」になっているはずだ。
「取り返しがつかない」と恐れていたことは、人生をシステム思考的に見れば、実は「その失敗を経なければ、今の自分は存在し得なかった」というキャリアの必然的な構成要素へと反転する。
私たちは「失敗を恐れるな」と言われる。しかし、失敗は恐れていいのだ。しっかり怖がった上で、目を背けずに失敗を正しく見つめればいい。
失敗をちゃんと見つめれば、そこには大きく3つのカテゴリーがあり、特に「賢い失敗」は長期的に意味をもたらす……ということが理解できるはずだ。
そこまで理解をした上での踏み込んだ失敗は、もはや恐れることはない。
「社会的な死」ではなく「未来への投資」
『失敗できる組織』が、最終的に私たちに提示してくれるのは、「失敗なんて怖くない」という甘い慰めではない。
表面的なポジティブさはない。失敗は痛い。その後に待ち受けるかもしれない社会的制裁は恐怖に他ならない。だが、その痛みこそが、あなたの人生というシステムを進化させる唯一の燃料なのだ。
この本はそのような人生で真に大切なことに気づかせてくれる。
そして最後に、著者の代名詞である「心理的安全性」という言葉の意味も、本書を通せば全く違った景色に見えてくるはずだ。
心理的安全性とは、決して「何をしても許されるぬるま湯」のことではない。単に「仲良くしよう」という精神論でもない。
それは、組織の全員が「基本的失敗(不注意)」と「賢い失敗(挑戦)」の境界線を明確に共有し、「果敢な実験による『賢い失敗』は、決して『社会的な死』にはつながらない」と確信できている状態のことだ。
「この失敗は、未来への投資だ」と全員が理解しているからこそ、私たちは恐怖に足がすくむことなくアクセルを踏み込める。
『失敗できる組織』が提示するのは、理想論ではない。私たちが「心理的安全性」という言葉を甘えの口実にせず、プロフェッショナルとして正しくリスクを取り、正しく傷つくための具体的な戦略論なのだ。


