「賢い失敗」は痛み以上のリターンがある

私たちが学校教育やこれまでのキャリアで刷り込まれてきた「失敗=悪」という感覚は、主に「基本的失敗」に対するものだ。

テストでケアレスミスをして怒られた記憶や、寝坊して叱責された痛みや恐怖が身体に強烈にインプットされている。その印象が強すぎて、本来は尊ぶべき「賢い失敗」も、「基本的失敗」をした時のような否定的ニュアンスに受け取ってしまうのだ。

大切なことは、まずは職場の中で予想通りにいかなかったことを単純に「失敗」と一括りに語らないことだ。

本書では「賢い失敗」という表現になっているが、「失敗」という二文字すら使うべきではないかもしれない。たとえば「想定外の結果」という言い換えでもいい。

本来は「失敗」という二文字を抜くべきなのだ。「失敗した」ではなく、「貴重なデータが取れた」とポジティブに認識することが大事だからだ。

「基本的失敗」はネガティブなニュアンスを持つ「失敗」という言葉を使って反省を促すべきだが、「賢い失敗」では、痛み以上のリターンがあるのだ。

「失敗は大事」でも体が動かないワケ

しかし、ここで一つ大きな壁がある。

「賢い失敗」が大事だと頭でわかっても、体が動かない理由だ。それは、私たちが恐れているのが「実験の失敗」ではなく、「社会的な失敗」だからだ。

よく「エジソンやダイソンは数千回の失敗をした」と語られる。「だから君たちももっと失敗しろ」と。だが、彼らの失敗はガレージの中での「物理的な失敗」だ。誰にも見られず、ただうまくいかなかっただけのことだ。

一方、私たちが職場で直面するのは、衆人環視の中での失敗だ。「あいつはダメだ」という視線、失われる信頼、傷つくプライド。

これらは実験データではなく「社会的な死」に近い恐怖を感じさせる。だからこそ、私たちは「賢い失敗」の前ですら、足がすくむのだ。

多くの手に指さされて顔を隠している男性
写真=iStock.com/vchal
※写真はイメージです

では、この「社会的な恐怖」をどう乗り越えればいいのか?

そこで必要になるのが、本書の第7章で語られる「システム思考」という視点だ。

システム思考とは、物事を「点」ではなく、相互に関連し合う「全体」として、そして時間の流れを含めた「動的なプロセス」として捉える思考法のことだ。

システム思考が失敗を理解するために重要なのは、この考え方が短期的な損得勘定から逃れ、長期的な意味に気づかせてくれるからだ。システム思考をしっかり理解しない人は、意識を「いま、ここ」に過剰にフォーカスして、必要な失敗を避けてしまう。

「いま、ここ」で痛みを感じたくないから、自転車に補助輪をつけて転ぶことから逃れてしまう……と言えば想像できるだろうか。