本能寺の変で潰えた信長のビジョン

人間関係を円滑に進めるためには、上司の顔色を見ることも重要です。僕なら、信長は「楽勝の上司」と評価するタイプでしょう。信長は機嫌よく笑っているか、怒っているかのどちらかで、近づいたほうがいいときと距離を取ったほうがいいときがわかりやすい人間だったと思います。

出口治明『日本史の極意』(SB新書)
出口治明『日本史の極意』(SB新書)

信長の享年は49。1582年の本能寺の変は、おそらくは突発的な謀反でした。当時、信長は側近だけで京都の本能寺にいる一方、明智光秀は1万3000の精兵を率いて近くを行軍していました。下克上の時代において、光秀が「今なら天下人になれる」と考えたのは自然なことです。しかし信長を倒した後の計画がお粗末で、わずか11日後には羽柴秀吉軍によって敗北してしまいます。

近年の研究では「信長の行った主な政策は、ほかの戦国大名も行っていた」として、その独自性に疑問を投げかける向きもあります。しかし、どの大名も天下を取ることはできませんでした。信長が傑出していたのは、「これとあれを組み合わせていけば天下が取れる」という大きなグランドデザインを描けたことにあるのではないでしょうか。

合理的思考、明確な判断基準、一貫した人事管理、革新的な経済政策は、現代の理想的な上司像として十分に通用します。

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