光秀はここで教養を身につけた?
明知城の一角に「万ヶ同天神神社」という小さな天神様がある。
天神様なので、御本尊は菅原道真公。現地案内板によると、光秀幼少時、京都の天龍寺から招いた学僧から学んだ学問所とも伝わっている。山の中腹にある八幡神社境内には、光秀手植えの楓や明知家の家紋入りの人麻呂神社も祀られている。
八王子神社に隣接して立つのが龍護寺。建立は1596(慶長元)年と既に光秀が世を去った後だが、それ以前から仏僧が住む草庵があったという。山門のすぐ脇に、光秀公供養塔が立つ。
この供養塔は斜めに大きくひび割れているが、これは光秀の悲痛な思いによるものだという。龍護寺には、光秀の直垂の布が縫い込まれた「九条衣」という寺宝も収蔵されており、毎年5月3日の光秀まつりで一般公開される。
明知城は、代々明智遠山氏の城だった。その戦国時代の当主・遠山景行が光秀の叔父で、兄(光秀の父)が亡くなった際、幼い光秀の後見を託されたとの説がある。ゆえにこの地で光秀は幼少期を過ごしたのだとも考えられているのだ。




