選挙とは「自分に利する人」を選ぶ行為
推し活選挙の何が悪いの? という方もいらっしゃるだろう。
筆者の理解では、選挙とは国民の「代理人」、しかも「利害の代理人」を選ぶイベントである。自分の利害に関わることを変えてほしいけど、自分ではどうにもできないから、代わりになってくれる人を選ぶのだ。
子育て家庭の方が、育児環境の改善を願うから、それを公約にしている政治家を選ぶ。女性の社会進出を後押ししたいから、賃上げをしてほしいから、理由は個々で何でもいい。
自分は大富豪で、お金持ちに有利な政策を標榜している政治家がいい、と思うのも「自由」の範疇である。実際には特定の層のみを有利にしたり、誰かの権利を極端に侵害したりすることは様々な側面から制限されるだろうが、選挙とは「自分を利する人」を選ぶのが道理なのである。
で、ここで、「自分の好きな人」を選ぶのはどうなんだ、という話である。見た目がいいとか、演説がうまいとか。若年層が高市氏を支持する理由が「女性(活躍の象徴となってくれそう)だから」だという話もあるようだが、高市氏の公式ウェブサイトの「高市早苗の政策」欄をみると、箇条書きで19の公約が列挙されているなかに「女性」の文字は出てこない(出産支援について触れている箇所はある)。
公約欄のトップの見出しが「『危機管理投資』と『成長投資』で『強い経済』を実現!」なので、高市氏の主眼がどこにあるかはわかりやすい。高市氏が女性活躍の象徴とは言えても、女性活躍の優先順位は低く、積極的に推進してくれそうではないことも推論できる。
政治=推し活になるとどうなるのか
アイドルへの推し活なら、別に好きな人を盲目的に推したらいいだろうが、政治の場面で同じ理屈でやるのはどうなのだろう。「私はサナエを推していたら幸せなの」って、まぁいいけれど、もうちょっと社会制度とか自分の仕事とか家庭とかそういうことを主眼にした方が……というのは余計なお世話なのかもしれない。そうした国民の態度もまた、変節の時期にあるようにみえる。
なお、今回の選挙の投票率は(大雪の日だったとはいえ)、56.26%で前回24年から約4%増だった。岸田政権時から大きく増えたわけではない。自民党の得票率も、実は岸田政権と大差ない。票はさして変わらず、議席で大勝したというのが実際のところであり、やはり自民党の勝利というより野党の敗北なのである。
つまり推し活「だから」勝てたわけでなく、因果関係が認められるかは微妙である。ただ問題は、精緻にみて推し活選挙に効果があったか、ではない。与党が推し活っぽい活動を大幅に拡大させ、かつ大勝したという事実は、今後同様にふるまうことに正当性を与えた。効果のあるなしに関わらず、選挙が推し活化していく流れは避けられないように思える。

