歴史的既視感の正体――ナンバー2の失墜
1971年9月13日夜。モンゴル人民共和国ウンドルハン近郊で、中国軍の三叉戟(トライデント)型旅客機が墜落し、炎上した。搭乗していたのは林彪――中華人民共和国の元帥であり、党規約に毛沢東の後継者と明記された人物だった。
林彪は毛沢東にとって、国共内戦における長征(1934~35年)以来の仲であり、文化大革命期には「唯一無二の親密な戦友」として全中国に喧伝された存在である。その林彪がソ連への逃亡を図る途中で墜落死した。毛沢東による粛清を恐れての逃亡だったとされている。
なぜ毛沢東は、自ら選んだ後継者を追い詰めたのか。林彪は卓越した軍事指揮官であると同時に、慎重な現実主義者でもあった。朝鮮戦争開戦時には参戦に慎重な立場をとり、1969年の中ソ国境紛争でもソ連との全面戦争へと進むことを懸念していたと伝えられる。戦争を熟知する立場から、毛沢東の無謀な軍事行動を抑える「ブレーキ役」だった。
しかし彼の適切なアドバイスは毛の逆鱗に触れた。失脚後、林彪と彼の一派と見なされた人たちは「ソ連のスパイ」「反革命集団」として断罪された。路線上の対立が、国家への裏切りという大罪へと格上げされたのである。独裁者が盟友を排除する際の常套手段といえよう。
2026年の張又侠失脚は、林彪事件と重なる点が少なくない。
張又侠は習近平にとって、父親世代からの絆で結ばれた竹馬の友であり、老山戦役の英雄として軍内部で一定の威信を保ってきた。しかし彼もまた、習が掲げる「2027年台湾侵攻」という政治目標に対し、「2035年が現実的だ」とより長期的視点からの慎重論を示したとの見方がある。実戦経験に基づく現実的評価が、習には「ブレーキ」と映った可能性は高い。
「規律違反」を「国家への裏切り」に格上げ
張又侠が「アメリカに核情報を漏らした」との疑惑をかけられた点も見逃せない。ウォール・ストリート・ジャーナル紙の北京在住記者である魏玲玲が1月24日に報じたものだ。
ただし魏記者は以前、トランプ大統領が高市首相に圧力をかけたと事実無根の記事を流した前歴があり、彼女の報道には疑問符がつく。
厳重に監視されている北京で、外国紙の記者が単独でこれほどの機密情報を入手するのは容易ではない。中国当局が意図的にリークし、張を「国家への裏切り者」に仕立て上げたのではないかと疑いもわく。実際、中国政府の公式発表には「核情報」への言及は一切ない。
罪状が個人的な規律違反から国家への裏切りへと格上げされる構図は、林彪事件と同じである。
林彪事件は、中国の歴史を大きく変えた。ナンバー2の失墜により、国民は文化大革命の狂気を自覚した。毛沢東自身もこの頃から精神的・肉体的に衰えだし、1976年に死去する。毛沢東の死によって文化大革命も終わった。林彪事件は、文革終焉のはじまりだった。
今回の張又侠失脚が、林彪事件の再来だとすれば、これから何が起こるのか。

