「盟友」が切り捨てられた意味は重い
張又侠は中央軍事委員会(CMC)副主席、つまり習近平に次ぐ軍のナンバー2だった。彼のプロフィールでよく語られるのは、習近平とは同じ紅二代(中国共産党革命に貢献した高級幹部の子女)の盟友という点だ。
ふたりの絆は、父親の世代にさかのぼる。太平洋戦争の終結後、中国では共産党と国民党が覇権を争う内戦が続き、習近平の父・習仲勲と、張又侠の父・張宗遜は、毛沢東率いる共産党軍の「西北野戦軍」に所属する戦友だった。習仲勲が政治委員、張宗遜が副司令官としてペアを組み、西北戦線の部隊を率いていた。
当時の軍閥的な人脈は「西北幇」と呼ばれ、1949年の建国後も強固な絆として残った。だから、習近平と3歳年上の張又侠も同じ紅二代の盟友と見なされてきた。
張又侠は、優秀な軍人としても知られる。1984年の中越国境紛争では、ベトナムとの国境にある老山で、前線部隊を率いて主峰をわずか7分で制圧して名を馳せた(老山戦役)。実戦を知らない幹部が多いなかで、張又侠の経歴は際立っていた。
だからこそ、習近平と同じ特権階級の生まれで優秀な軍人の張又侠が「主席責任制を踏みにじった」と断じられた意味は重い。習が最も信頼した「血統の盟友」が、単なる規律違反ではなく、習近平の軍統制そのものへの挑戦と見なされたのだから衝撃的だった。
もはや、誰も安全ではない
公式に「重大な規律・法律違反」とされた背景には、台湾侵攻の期限をめぐる政治的な亀裂があったとの見方もある。
習近平は自分の任期が終わる2027年までに「台湾侵攻能力を整える」との政治目標を掲げた。毛沢東と鄧小平もなしえなかった台湾併合を成功させ、この歴史的成果を背景に“永久皇帝”として任期延長を宣言する構想を描いている可能性もある。
一方、張は慎重論を主張していた。実戦を知る幹部として、中国軍の実力を冷静に直視し、「2035年が現実的だ」と進言していたという。米国防総省関係者の間でも、張は習に現実的な判断を促せる「理性ある声(voice of reason)」と評されてきた。
革命元勲の子弟(紅二代)には「最後の一線では争わない」という暗黙の了解がある。竹馬の友を調査対象にした今回の処分は、掟破りの出来事だった。軍エリート層に「もはや誰も安全ではない」という無言のメッセージを発したに等しい。
