首都圏でダイエーの看板が次々と消えている。一方で関西では改装や新規出店が相次ぎ、攻めの姿勢を強めているという。かつて日本一に上り詰めた小売界の王者はいま、なぜ東では撤退し、西では拡大するのか。フリーライターの宮武和多哉さんがリポートする――。

東で消え、西で攻める

首都圏の1都3県で「ダイエー」の閉店が相次いでいる。残った首都圏の店舗は3月から運営会社が変わり、2030年までにはあのオレンジのハートをあしらった看板が、1軒も残らず東日本から消滅するという。(2月27日発表)

ダイエーと言えば、1980年に国内小売業では初めて「売上高1兆円」を突破した、かつての流通業の王者だ。95年には連結売上高3兆2239億円に到達。しかし、売り上げ低下と赤字店舗の整理に費用がかさみ、2009年には236億円の赤字に。長らく続いた経営危機ののちに、2015年に「イオン」傘下入り。数年でブランド消滅するはずが、令和のいままで十余年も生き残ってきた。

さらば、ダイエー! と思いきや、関西の既存店はまだまだ「ダイエー」として営業を続ける上に、新ブランド「フードスタイル」による新規出店で、むしろ攻めの局面に入るという。

なぜ、ダイエーは「東日本エリアは全撤退」「西日本エリアは改装・出店」という、真逆の生き残り戦略をとるのか。

その答えは、いまのダイエーが持つ「新たなダイエーの売り場づくり力」「関西発の企業としてのブランド力にあった。

ダイエー湊川店の入口。ロゴ以外は昔の面影を残す
筆者撮影
ダイエー湊川店の入り口。ロゴ以外は昔の面影を残す

まずは、会社単位での「東はダイエー撤退、西は存続」の動きを見てみよう。

2026年2月現在で、「株式会社ダイエー」が運営している店舗は、「マックスバリュ関東」(3月から「イオンフードスタイル」に社名変更)に運営を引き継ぐ予定であり、2030年までに屋号としての「ダイエー」店舗はすべて消滅・転換となる。

既に鎌倉店・西浦和店・上溝店などは閉店しており、一部店舗は「イオン」ブランドの店舗として改装オープンする予定だという。

一方で関西では運営元である「株式会社ダイエー」(イオン100%出資の子会社)に、おなじくイオン系列のスーパー「KOHYO」を合併させ、既存店は「ダイエー」、新店は新ブランド「フードスタイル」として改装や新規出店などに力を注ぐという。

首都圏に残った「在りし日のダイエー」

では、「ダイエー消滅」が間近となった、首都圏での店舗の状況を見てみよう。

首都圏で生存してきたダイエー店舗のなかには、1972年にオープンしたした「上溝店」、1985年オープンの「東川口店」(いずれも「忠実屋」として開店)のように、数十年にわたって営業してきた店も多い。

ダイエーが全国制覇できたのは、食料だけでなく衣類・家電などが何でも揃う「GMS」(総合スーパー)というスタイルを貫いたことにある。

ダイエーが売上日本一を獲得した際の新聞 神戸市「ダイエー博物館」にて
筆者撮影
ダイエーが売り上げ日本一を獲得した際の新聞 神戸市「ダイエー博物館」にて

しかし、食料品以外の売り場は専門性がないとあって魅力が欠けてしまい、「SM(スーパーマーケット)+衣料ならユニクロ、家電ならヤマダ電機といった魅力ある専門店を招き入れ、顧客を掴んだイオンに敗れ去った。

首都圏のダイエー店舗は、どこか懐かしい「GMS全盛期」の面影を残しており、上溝店(2026年2月24日閉店)に至っては「1階がスーパー+ドムドムバーガー、2階が婦人服売り場、4階が遊具コーナー」といった、涙が出そうになるくらい懐かしい「在りし日のダイエー」の佇まいを、ほぼそのまま残していた。

そんな店舗は、概して「子供のころからお世話になった」という数十年来の顧客を掴んでおり、屋号を変えると「買い物習慣」がついた人々が離れていきかねない。